我れ若し女帝の密使なりせば

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「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 3

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 1
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「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 2

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舞台はその破天荒ぶりに、いよいよ拍車がかかる。
サナトリウムからジオが去ると、入れ替わりにあらわれた、幻想都市ロンドンの怪人ジャック・ファントムが黒マントの奥にたっぷりとつめこんだ、ロンドンじゅうの悪罵の集合体をヴァンにあびせる。

しかし、サナトリウムの外にふきつける死の冷気は、(サナトリウムの)中までは追ってこない。ジャック・ファントムは唇をかみしめる。
看守のイルマは「サナトリウム中学校」でショック療法に邁進する保健室の先生を、しおらしく気張ってみせるが気持ちが折れ、新米教師のように泣き崩れる。これがかわいい。
ジャック・ファントムが、イルマの目にはみえない姿でつぶやく。
やれやれ、ここがクソ学園などではなく、楽園なのだと気付いてないのだな・・・・・・・・・・・・・・まだ。

「お前笑えよ」

ジャック・ファントム (サナトリウムに居る誰も、ゴッホとアルトーを狂人よばわりしないではないか。人食い王も、盗賊王もアブサン王も、破綻した病院世界のあちこちを永遠の暴虐でみたし、この破綻がかれらを救っているのだからな。)


人食いソニー・ビーン「お前笑えよ、 笑うと美味そう」
このセリフは、終演後にじわじわと胸にせまってきた。ヴァンの体から、ひまわりの香りが空たかく、星月夜をこえて天空へと舞い上がる、あたたかい香りの軌跡を、闇のむこうから、サナトリウムじゅうの目が凝視する。






ステージ後方の、マイク・スタンドに大島朋恵が立つと、
そこにはジャック・ファントムの残り香が漂っている。「死のゆび」にも、怪人のマントの襞が幾重にも光沢をひろげている。

ヴァンとポールの共同生活が、徐々に信頼を崩壊させていく軌跡をひるがえしてダンスを舞う。
絵の中の葡萄畑がオペラのような落日いろに染まる。
縦横無尽であって翳りに満ち、凶暴でうつくしい。右と、そして左それぞれの顔面をそれぞれ別々の造形作家がつくって、真ん中でつなぎあわせたら、片顔面どちらかのせいで理想的な顔立ちにならない。「お前の自画像、耳の形がおかしいんだよ!!!」
ポールがヴァンとのあいだに生じた裂け目の不連続面に激発する、その背後にはジャック・ファントムの哄笑がとどろく。






黒い炎に映える白装束のポールとアルルがステージのうえを残酷な人形芝居のように、弦楽器の弓のようにナイフが、アルルの首を這い、喉笛を切り裂く。






サナトリウムのシーン以降は終幕まで、閉鎖病棟から死ぬまで出られないにちがいない、ヴァンの回想と妄念が舞台化されていくように、ズタズタな切れ味をさらしてロンドンを狂奔し、エウリディーチェを失ったオルフェウスの心身をめったうちにされ、のた打ち回る。
アルルがきえた街をヴァンのナレーションがうつろにひびく。「マッチはいりませんかッ」死滅した、娼婦アルルの香水が波打つように幻想都市ロンドンの住人がマッチの火を手にズラリとならぶ。

”アルル”(大島朋恵)がジャック・ファントムの残り香がただようマイク・スタンドに立ち、歌う「次に会う時は別人の顔で」は痛烈にひびいた。「消えてしまえばいい、と」を歌い上げた瞬間に空気が変わる。アルルが死滅すると同時にあらわれる悪寒が、背筋に冷水をはしらせた。
涙目になって、ピストルをかまえるヴァン。もう目を反らせない。いやだ。あなたを死なせたくはない。「なあ、この絵美しいだろ?彼女の笑顔が、ここにはあるんだ!」
毎回のようにこの場面で泣いてしまうのだが・・・・今回も。



舞台のラストで、アルルが「私ほんとうは娼婦じゃないの」とつぶやく時、
ヴァンのアルルへの愛が、アルルの笑顔のうつくしさが、ステージいっぱいにひろがるを見ずにいられなかった。

黒い、死の国から迎えにきたアルルは、
初めて会った時のように沈鬱な風情で、
薔薇の園丁が挟を入れるように静かに、ヴァンの喉元に噛みつく。


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  終幕  .☸☸ڿڰۣ—☸ڿڰۣ—*.☸ڿڰۣ.☸ڿڰۣ—☸




2公演とも最前列で観て、マチネでは、何も知らずに座った左から2席目の、右から俳優たちが駆け抜ける。ゴシック劇も惨酷劇もそのやいばを光らせたまま、うずくまり、絶叫する。あんなにもハイテンションなステージを演出し、俳優たちをひっぱって心服させている演出力に脱帽した。
俳優たちの大合唱では、栃木公演と同等か、あるいはそれをしのぐ総力を見せた!最前列だから、声あげて泣きそうになりながら見ていた。
人生観をおおいにゆさぶられるステージに出会った。「石は砕け散るが、言葉は永遠に残る」というセリフは、時折ふところから取り出して握りしめたくなる。
『贋作マッチ』の俳優さんたちが今後、どのようなステージを見せてくれるのか非常に楽しみにしている。





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写真は栃木公演にて。舞台が終わって、歌姫の大島朋恵さんと、”死のゆび隊”。 
※写真は掲載許可をいただいております。


死のゆび隊:ヴァンとポールの絵でいっぱいのアトリエで、絵のイーゼルから変容し、額縁に彫りだされたレリーフの蛇体をくねらせて、床にひろがった落日の甘い蜜の池にもぐりこみ、くるおしくしゃぶりつく、しろへび達。

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私が作詞し、永井幽蘭さんが、これ以上ないほどピッタリな作曲で応えてくれた「死のゆび」が、大島朋恵さんの歌と、舞台芸術創造機関SAIの手に届き、『贋作マッチ』の壮麗なワンシーンを誕生させてくれた。
シーンのおわりでヴァンがつぶやく「おやすみ、ポール」が、ダンスと歌のくるおしい滑空の、優雅な着地をえがく。



栃木公演のあと、私は朗読劇の出演をひかえていて、「がんばってくださいよ!」と幽蘭さんと大島さんから励ましを賜り、本当は栃木公演のまえにやるはずだったのに、風邪をひいて中止においこんだ『天鵞絨の夢』の朗読を、(谷崎潤一郎の長篇小説。光栄なことに私は『天鵞絨の夢』の朗読披露第一号)みごと成功させることが叶った。



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# by lecorsaire | 2018-02-16 18:28

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 2


「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 1
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そして・・・・・・遂にこれを書く時が来た。
神奈川公演で度胆をぬまれたのが、”霊薬の製法を知る男”修道士デストレの登場シーン。「神はどうせ助けてはくれぬ / 私が、この世で最も愛する者を神は奪った!」ヴェクサシオンの曲、「ドラクル」の朗読詩を絶叫して登場するデストレ。そうか、デストレの・・・・人造人間キカイダーか「AKIRA」の鉄雄みたいな両腕は、デストレ役の恩田純也さんが「贋作マッチ」漆黒公演で演じたポール・ゴーギャンのルックスに酷似しているではないか。漆黒公演でポールが、ヴァンの描いた自画像を破壊する。「お前の自画像、耳の形がおかしいんだよ!」とどろくヴァンの狂声。人界での確執を超越した異次元的場面のつづきを見い出さずにはいられなかった。そしてデストレのなかに、ジャンヌ・ダルクをうしなった絶望の末に小児殺しと錬金術に耽溺するジル・ド・レの暗像を見ずにいられなかった。「神よおまえは、私の病める魂を救ってくれなかった」漆黒公演の地下室から這い上がって、・・・・・・アルルをうしなったヴァンがロンドンを狂奔するように、ジャンヌ・ダルク・・・・・・・ヴァンをうしなって、霊界の船旅に帆を駆るポール・ゴーギャンは小児切り裂き魔の青い髭の光をしたたらせ、孤島の修道院の霊薬に開眼した。デストレは、神奈川公演に賢者の石の隕石になって落下してきた。

音響が、まるで見えない俳優になって火であぶった匕首のように冴えわたる。
デストレ出現に驚愕する幻想都市の暗黒結社たち、
闇の詩人ヴィクトル・ユゴーはデストレからわきあがる光の沸点に目がくらみ、
シャーロックの、麻薬が総身にゆきわたってシャンとはりつめた筋肉で繰りだすボクシングのパンチを撃退し(もしシャーロック得意のヴァイオリンで狂気をあびせてもたぶん撃退されそう)
シャーロックのライバルのモリアーティ教授が裂帛の気合いとともにくらわす跳び蹴り・・・・・これはシャーロック得意の日本武術の、バリツ? 
これも撃退!!


ところが最後にひかえる錬金術師エリファスは、デストレを自分とおなじ境遇に見ていたようだ。
エリファスが、秘蹟の杖をふりあげる。カトリック司祭から出発しアナーキズムの情熱を爆発させたのちに神秘主義の扉をひらくエリファスが、錬金術の説く「絶対的な中心の探求」の旅の途中で出会ったデストレに、「恐れるな!」と戒めるかのように。杖の軌跡が、音響と呼応する。
デストレ(漆黒公演のゴーギャン)は出会いを果たす、神奈川公演のゴーギャンに。霊薬をゴーギャンに手渡し、ジャンヌ(漆黒のヴァン)がいる世界へ、喉を切り裂かれて旅立ってゆく。
このシーンで、大島さんが歌うヴェクサシオンの「ドラクル」からは炎天下にそそがれる冷たい潤いをうけとった。


栃木公演でのデストレとエリファスのシーンが、いまいち腹まで降りてこなかったのが心に残っていたので、神奈川公演でその言わば「借り」を自分なりに返せたのではないか。少々胸焼けしたけれど。




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ヴァンの弟ジオに、はじめて遭遇した栃木公演では「老獪で鉄面皮」、劇作家の情熱の氷漬けをかぎとり、こういう役は俳優もさぞかし大変だろうなあと溜息がもつれていると、
東京公演でふたたび遭遇(あの出だし、すごいよかった)した時には「白夜」と「漆黒」それぞれが、”ジオ様”を降臨させ、死の天使の誘惑にSNS上が狂喜乱舞・・・・

ここで終わらなかった。終わってほしくなかった。







やはり「贋作マッチ」は期待を裏切らなかった。
ファイナルの神奈川公演に至って、ヴァンが収容されたサナトリウムの俳優や看守たちを震撼されるマックスハイテンションを謳いあげる、<最終形態ジオ>が披露されたのだ!!!!



アルトーをヴァン・ゴッホにしたてあげたジオが、アルトーをコントロールできない苛立ちを爆発させる姿にこれまで栃木、東京でみてきたジオたちの哀しみや苦しみが痛烈におおいかぶさる。


ルイ・フェルディナン・セリーヌがハンガリーの医師ゼンメルヴァイスに下された無理解を慨嘆する霊筆に、アルトーの「ヴァン・ゴッホ」との交感を読み取る人はいくらでもいるだろう。
"人は炎の暖かさを愛することはできる、だが火傷したいとは誰も思わない。ゼンメルヴァイス、これは炎だった。"
(菅谷暁訳『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』)
早くこの本、日本中に溢れかえれ。



東京公演が終わったあとも、ジオの俳優たちが、ある時はハイテンション(漆黒)、ある時は「きょうはもう駄目」(白夜)。
ああこの役・・・・・・俳優をとことん締上げる。
神奈川公演が終わったあとで、ジオと話す男性の声が茫然自失していた。

栃木、東京、そして神奈川へと、レー医師と、ジオとのやりとりがその内面を変転させていくさまを見てきた。幻想的正確性をきざむロンドンの尖塔時計の外見に内含された堅牢な歯車の群を、栃木から出発し東京へ移行するにあたって緻密なパーツを大量に増加させて緻密な表情をめいっぱいさらした。あるときは凶悪なきしみ音をさらし、あるときは脆すぎるほどのしなやかさですすり泣く。それは神奈川版にいたり、はずみのつき過ぎたテンションで緻密なパーツが持ちこたえられなくなった。 栃木版からは大舞台の解放感を、東京版では緻密な小説の躍動を目撃し、神奈川版では、ゴッホの絵をさかさまにかかげて、その画面いっぱいに、短くて強烈な詩の走り書きをほどこす、レー医師とジオの変転を見届けることができた。





「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 3につづく
http://lecorsaire.exblog.jp/26482998/


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# by lecorsaire | 2018-02-09 22:49

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 1


「贋作マッチ売りの少女」ファイナルの神奈川公演が、正に此処しかありえない場所で--------青線地帯とヒロポンのエルドラドだった黄金町(黒澤明の『天国と地獄』にも登場)、しかも黄金町が誇る名画座「ジャック&ベティ」からほんのすぐそばで開幕してくれた。ダナエ―の黄金の雨を吸いとった土壌が芳烈に香る煙から<幻想都市ロンドン>の地獄門が、黒い火柱のように噴きあがった。劇中歌「死のゆび」の作詞を<錬金術のかまど>めがけて、苦い媚薬のしびれるほど甘い、甘い、甘い水銀の蜜のしずくを垂らしつづけてきた我が悪徳が、セリフと、演出と、そして音楽とをいかなる綺華楽反応にそめあげることか。





何ということだ。
「贋作マッチ」は、どこまでも変容を止めない。
台本も、かなり書き変わっていて驚いた。ヴァンとジオとの兄弟軋轢が、栃木版と東京版で観た後半(老獪で鉄面皮な弟ジオが兄へのやるせない情けを口にするあのシーン)を、バッサリ切っている。「テセウスの船」もカットされていた。
しかしやはり今回もまた、両手いっぱいにかかえるほどの悲劇のどこにも、嫌味は混じってなかった。
まだ飲んだ事が無い酒だが、アブサンはきっと、こんな舞台みたいな味がするのかもしれない。



白塗りデスメイクの俳優たちによる開幕直前の「ヘルハウンド発声」は栃木、東京につづいて今回も登場。大島さんはtwitterで歌への意気込みを書いていたから、栃木公演の破天荒な巨大さが再降臨するのかと思ったら・・・・おやまあ。ステージには終始、やや小柄なダイヤモンドがそのカッティングされた表面を緻密なライティングに染めあげるのを観てとった。そうか!膨張をきわめ、縮小しつくした「贋作マッチ」はついに、うつくしい解体ナイフの先端の光のような炎の大きさを手に入れたのだ。
高純度の鉱石のなかでうごめく幻想都市ロンドンのオークションゲスト、彼等は得体のしれない金持ちで、辻斬りの銃豪で、闇の結社を組む超秩序の番人であり、あらゆる場所へ身体を溶かし、あらゆる物象のなかへ潜み、音のように響き、水のように流れ、光のように夜を照らす。
ヴァン・ゴッホが贋作師ヴァン・メ―ヘレンの仮面の絵筆のいきおいを炸裂させる絵画オークションで、ヴァン・ゴッホの伝記の筆が乾ききらない伝奇的悩乱を炸裂させるアントナン・アルトーが、ひたいの角をたたき折られたユニコーンの毛並を漆黒に変色させる。劇の後半で、ヴァン・ゴッホに帝王のかんむりをかぶせる狂気がアルトーの頭天に旗めくを見て取ったヴァンの弟ジオの口車による車裂き刑が待ち受け、自身がヴァンの帝冠でできた首枷の囚われ人になる未来図が黒い波うちを、岸壁にうちつける。



そんなヴァン・ゴッホ(贋作師ヴァン・メ―ヘレン)がピーターパンみたいな身軽さで、ステージのふちを跳ねるような走りを披露し、自分が絵のモデルになってもおかしくない位の澄み渡った身のこなしで、黒い炎から復活したような黒衣の娼婦アルル、幻想都市ロンドンの生態系ピラミッドで頂点を滑空する夜鷹にむかって、無謀にも絵のモデルになってくれとせまり、鼻であしらわれる。
この場面が、ロンドンの幻想住人たちのリボンの帯につつまれた花束になって、しかしそのリボンは締上げられ、だんだんと、花束の花びらが、むしりとられていくのだ。



アルルが歌う、ヴェクサシオンの「箱庭の薔薇」が聴こえてくると、栃木公演で聴いた歌唱の記憶が、猛烈に動揺する。
落ち着くのだ、俺の記憶。
アルルが歌い、歌と呼び合う詩をヴァンが朗読する。ふたりとも、ステージでは大きくみえる。
「箱庭の薔薇」のシアトリカルなエレメントが客席まで拡散し、白皙の風合いのまま、ローズガーデンの園丁の腰にさげた解体ナイフが、その切れ味の膨張を、いまだ輪郭だけ、フッと照明に照らしてみせる。


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黄金町での公演なら、一番リアルな空気がただよっているに違いない(・・・と当日フランシス館長たちに言い忘れた)娼館の場面は、ヴェクサシオンのシアトリカルなムードと真っ先に同じ地面でつながりたがる欲望が、はしりまわる(笑いをあげて)。
五人の娼婦が、装飾音だらけの裳裾をひきずったヴァイオリン、チェロの甘くるしい弦楽器を初めて聴くショックにクラクラする童貞客のように、ヴァンを(娼館の贋作師兼掃除夫)弦楽器のネジのように、しめあげるううぅぅぅっ。
どんな舞台でも映画でも、娼婦のセリフに聴き入らない人はたぶん、いない。セリフを聞いているだけで満足なり、言い返したくなる闘争心がわいてくる。
月日が飛ぶように流れた或る日、五人の口からヴァンが突如、自作のほうの絵をつぎつぎと描きあげる様子が、それぞれの腕前を披露する弦楽五重奏の絶妙にみちた絡み合いで展開される。栃木、東京公演でも出てきた、とても好きな場面だ。
五人の盛り上がりとともに登場するのが、東京公演では出てこなかったので腹の中で「お帰りーーーっ」と叫んだ、フランシス館長!
白と黒のコスチュームは白鍵と黒鍵のピアノだ。ならばピアノ六重奏といこう。グランドピアノに例えるなら、ブニュエルの映画『アンダルシアの犬』に登場した、ロバの死体をはこぶ棺ピアノのように調律が狂っている!!!!





クラシック系楽器でたとえばなしを語ったのは観念をひけらかしたいからではない。『贋作マッチ』ファイナルにして、初めての楽器奏者がヴァイオリンをあやつりながら現れる。「エミール・ベルナールだ」ベルナールはヴァンの絵から天才を見抜いたことを、ヴァンと同じように、ピーターパンさながらの姿で、伝える。「僕たち友達だね」「ライヴァルと言ってほしいね」ベルナールには、ヴァイオリンという、一人の小さな友達がいるのだから。
ヴァイオリン・・・・・ヴィオロンでもいいが、クラシック系楽器のなかでも狂気と紙一重の音色をふるう魔女(ヴァイオリンは女性名詞)とともに現れるベルナールには<幻想都市ロンドンの怪人>ジャック・ファントムの反像がチラチラ見えた。「ヴェクサシオンのテーマ」の合唱シーン、盛り上がりの天辺でヴァイオリンの大渦巻をマチネで聴いたその次のソワレでは、ベルナールがヴァンに紹介したポール・ゴーギャンが言う「お前の自画像、耳の形がおかしいんだよ!」がフッと霞んできこえてきた。
ベルナールは幻想都市ロンドンの、告死天使だったのかもしれない。







「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 2につづく
http://lecorsaire.exblog.jp/26453004/


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# by lecorsaire | 2018-02-08 19:42

谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』:朗読を披露(2017.11.25)



人生に安楽椅子などない。
天鵞絨張りの監獄椅子があるだけだ。



坂本葵さんが主催するイベント「谷崎潤一郎びより」で、谷崎の妖美小説『天鵞絨の夢』の朗読を頼まれたのは2017年の7月の終わりごろ。稽古をはじめたころの暑さを覚えている。

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私はこれまでに同人誌で小説やエッセイを書いてきて、いまでは参加したいと思う同人もなく一匹狼をつづけている。
小説とはべつに、舞台劇や朗読詩を書いて、都内で披露してもらったこともある。
しかし、まさか自分が朗読を(それも自作などではなく、谷崎潤一郎の小説!)披露する側に立つとは夢にも思わなかった。



『天鵞絨の夢』の朗読は本邦初の試みで(つまり私が朗読者第一号)、発端(←導入)、「第一の奴隷の告白」「第ニの奴隷の告白」「第三の奴隷の告白」終幕にわたる流れから、「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」だけを抜き出し、一時間以上90分未満をかけて朗読をおこなった。中国を舞台に、得体のしれない大金持ちやその妾が奢侈悦楽におぼれるその周囲に侍った、美少年や美少女の奴隷たちの告白が谷崎の美文でドラマチックに語り尽くされる。
もし全篇を朗読するとしたら、「第一の奴隷の告白(美少年)」「第ニの奴隷の告白(美少女)」「第三の奴隷の告白(ヴァイオリン弾きのユダヤ人美女)」をそれぞれひとつずつ朗読者を変えてみてはどうだろうか。発端と終幕の朗読者を狂言回しにして、朗読者がチェンジする度に場面展開を差配する。なかなか豪華な朗読劇になりそうだ。
今回の朗読では「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」とのあいだに、場面転換の寸劇をやった。



得たものは大きかったけど、苦労の連続。
なかでも一番きつかったのが、本番の延期。
本番も、10月22日の予定だったのに、まさかの風邪。

公演が11月25日(奇しくも谷崎を敬愛して止まなかった三島由紀夫の憂国忌)に伸びた、その月のはじめに栃木へ行き、
私が作詞した音楽「死のゆび」が歌われる『贋作マッチ売りの少女』栃木公演を観て
http://lecorsaire.exblog.jp/26089033/
舞台でのパワァを、涙ボロボロながして存分にいただいたので、『天鵞絨の夢』の要所にふりわけた。





「静かだ・・・」

女王は卓上の、
『天鵞絨の夢』に勝るとも劣らぬ奢り極まる装幀を施した、
『舊新約聖書』を手にとる。

”第七(だいしち)の封印を解き給(たま)ひたれば、
凡(おほよ)そ半時(はんとき)のあひだ
天靜(てんしづか)なりき" 
ヨハネの默示錄 第八章


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25日の朗読では、気負いもなく、こころもちも静かに、『天鵞絨の夢』の文面を、ほとんど自分の手足のように自在にあやつることができた。
当日は朝の10時ごろからテンションがあがっていて、
まずは自宅で、むしろ気持ちを静めるために朗読台本を読む。
そのあとで庭で生ってる獅子ゆずの大物をひとつ、葉っぱごと切りおとした。

正午ごろには吉祥寺で、「死のゆび」が初演されたライブハウス「吉祥寺曼荼羅」そばのアンティークな喫茶店「ゆりあぺむぺる」のスパゲティで昼食し、そのあとで井の頭公園へ移動。3時まえまで「第二の奴隷の告白」を中心に台本を読む。そして時はせまり、会場の「猫々文庫」が建つ、西永福へ。
会場へ行く前に、駅前の小さい広場で『死のゆび』を聴き、
天鵞絨張りの、阿片窟の夢見心地の実感をつかんでいた。


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ガッツ石松が、ボクシングに出遭ったことで、人生が360度変化したという話が胸にせまる。
180度ではない、断じて180度ではない。360度だ。



今年からはまた、書くほうの試練がつづく。









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# by lecorsaire | 2018-01-01 13:49

私はどのようにして「死のゆび」を作詞したか

今回のブログは、2017年12月18日に私が発した以下のツイートに対応する形で書きました。
https://twitter.com/guardia_nobile/status/942762972371230721




永井幽蘭さんから、あたらしい曲の作詞を依頼されたのが2015年の5月ごろでした。
小説を中心にこれまで書いてきた、文藝の筆を、舞台劇の脚本や朗読詩などにおよぼす度に、
思いもかけない悪戦苦闘への直面をくりかえしてまいりましたが、
今回もやはり同じで、作詞の苦行が、これほどのものなのかと思い知る事になりました。


「死のゆび」を書き始めたときに、私の念頭にあったのは 『たそがれの寝室』 という、日夏耿之介が書いた耽美的な物語詩でした。
『たそがれの寝室』 は、日夏耿之介がもっとも名をしらしめたエドガー・ポオの長篇詩『大鴉』の翻訳などといったゴシック奇譚の論客として名をなす以前に、 同人誌 『假面』 で発表した初めての詩作で、『大鴉』の、城砦窓から視線をなげかけるような鬱屈さよりも、ずっと感覚的な、淫靡にせまるほどの官能と耽美を、薔薇窓にほおずりするがごとく追い求め、イタリアの耽美詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオを 「官能の理想主義者」 として仰いだ若き日夏の詩の筆が 「視覚と聴覚の錯綜美」 の一歩をしるし、シアトリカルな絢爛さと、黙示録じみた性的虐殺、けだるい狂恋が渦を巻く、日本人が書いた最もみだらでみやびな詩になりおおせています。 
「死のゆび」 に、淫靡さがみなぎる箱庭かドールハウスの沈鬱な豪華さをふうじこめることができるとしたら、日夏か、そしてダンヌンツィオの詩の仮面を借りてこなければなりませんでした。
もちろん、借りてきたというか、盗んできた仮面はこれだけではありません。アリババの宝物洞窟からひっぱりだしてきたのは、永井荷風の訳詩集 『珊瑚集』、日夏の弟子の仏文学者・斎藤磯雄が翻訳した豪華な訳詩のかずかず。
歌人・塚本邦雄の第五歌集 『緑色研究』 を繙く時には、おおいに渇を癒されました。塚本は甘美さをあらわすのに 「苦い」 という反対語を使う事で甘さを増大させる効果をねらいました。「死のゆび」 のなかで”媚薬は苦く”とあるのは、たぶん『緑色研究』収録の、<ワルキューレにがき油のごとく滿ち馬はその鬣より死せり>がひらめいた折に筆が勢いよく走ったのかも知れません。
当然ながらこの時点で既に私は、創作苦の渦のなかで七転八倒しておりました。



ですが、まだこの時点で私が書いていたのは「ただの詩」で、
音楽にのって歌われる「歌詞」にはなっていなかったのです。


ここで一旦、筆がとまってしまったんです。
「さあいったいどうやって、詩のしっぽに火をつけようか」
歌詞を書き上げるという創作苦の、本当の苦しみがのしかかってきたんです。


おそらく、この時の苦しみの半分かそれ以上は、 「意地」 でした。恥かしいものです。その意地が、さらなる苦しみを生み、そうしてさらなる意地が湧いて出ての繰り返しに苛まされるようになったわけです。幽蘭さんが作詞を依頼してくれたことを最初は念頭に置いていたのにそれをだんだんと脇に追いやって(幽蘭さんすみません)、デカダンの詩歌や、淫靡や媚薬などとはおよそ対極をなす最も遠いところにいる何ものかに出遭えば、その遠さが逆に起爆剤や、発火力をさずけてくれるはずだと信じるようになり、そのあげくに出会ったのが、寺山修司が作詞した 「あしたのジョー」 のテーマだったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=lHgKu5o0xEg


「これだ!!!!」点と点が、一本の線になって繋がる暴虐的な勢いが理想的爆発力の導火線になってひらめきました。
寺山修司は天才だ。異形の造形力に溜息しか出ない。
やはり一番の歌詞が、壮絶さでとびぬけている。
歌手の美童イサオは、・・・・(ごめんなさいボケさせていただきます)
「だけど~~♪」の次にくる歌詞を忘れてしまい(!)、「ルルルル~♪、ルルル~ルル~ルルル~♪」で歌い通してしまった。
一行ごとに、尋常じゃないエネルギーがこもっていて、
一行ごとに、燃焼しなければ歌えない。
これほどの歌詞に、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか。




タイトルの 「死のゆび」 は、「あしたのジョー」 をyoutubeで流しながら歌詞を練っていくうちに、自然とうまれてきたのだと思います。


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いうまでもなく、この時点での執筆がもっとも苛烈をきわめました。
なんで歌詞って、こんなに短くしなきゃいけないんだろう?などと、未曽有の根源論に喧嘩を売るような怒りをこみあげながら、毎晩のように、未完成の歌詞を書き途中のノートを閉じるたびに、溜息をもらし続けました。
書き上げた歌詞をお送りするときに、「もうこれ以上書けません」なんて言った記憶がある。



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こういう歌詞に、作曲をして、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか?




※「死のゆび」が初披露された2015年7月17日のライブ
http://lecorsaire.exblog.jp/21957947/








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# by lecorsaire | 2017-12-26 17:38 | 公演

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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