我れ若し女帝の密使なりせば

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リチャード三世(芸術集団れんこんきすた 2018年4月20日 マチネ)


※このブログは、執筆者のtwitterの以下のツイートに沿って書かれている。
https://twitter.com/Guardia_nobile/status/987294455760695302


まずまじめに書いておきたいのは、この感想ブログは、20日のマチネの印象しかカヴァーできてないという事。
そして今回観た、芸術集団れんこんきすた版『リチャード三世』が(原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本および演出:奥村千里)、傑作だったのか駄作だったのか、そんなことはどうでだっていいという事。そっちを期待している方はどうぞ、お読みになるをやめてもらって結構です。




観終わった直後は、えらく昂揚した。重厚で、躍動感にみちあふれた美しさに取り巻かれ、熱に浮かされて、役者たちと会話をたのしみ、会場をあとにした。熱に浮かされてしまった分、かえって言いきれないこともあった。それを今回、このブログに書いていきたい。



公演台本は、原作を凌駕する箇所をいくつもそなえ、ひたすらに、観る側により多くを要求した。そして、演出する側にも、演じる側の役者たちにも(「役者」と言うのは舞台に立つ俳優だけでなく、舞台の裏方に至るまで公演にかかわったすべてのメンバーも含めて)、トコトンまで、要求しつづけることをやめなかったに違いない。


twitterで、公演の役者紹介を発するツイートを読んだらリチャード三世の俳優の役ぶりを「怪演」と紹介していたことには疑問を感じた。欲望を叶えるため貪るためにもっともよく働く知恵を存分に羽搏かせるエゴイスト、「お前は、リチャード。」呼びかけられる私やあなたを、金正恩やドナルド・トランプを演じる役者には、怪人の仮面をかぶせてはいけないのだ。
舞台上で気になったのは、リチャード三世以下、セリフ回しにひらべったさを感じる箇所に時折遭遇し、2回ほどあくびを噛み殺した事。セリフの表情づけについて、舞台をみながら去年の11月にやった朗読劇で、クラシックの、演奏時間が長めで、表情づけがとても上手な曲のCDをいろいろ聴いてきたことが、朗読の表情づくりで大いにたすけになったことを思いだしていた。ただ、一番最初のリチャードの長ゼリフのひらべったさに味気無さをあじわったのだが、それが逆に、どす黒い黒髪がスライムの臭気とともにのたうちまわるような嫌らしさに、クラシック劇の絵姿を脱する幅と弾力をそなえる、説得力をあたえていた。





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公演が始まる前の4月18日の「よい歯の日」に、リチャード三世の遺骨の鑑定の決め手になったのが頭蓋骨の歯だったことをツイートしたのだが、



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いざ観に行った舞台で、冒頭のナレーションにリチャード三世の遺骸発見が、高らかに謳われていたではないか。



開演まえの舞台周囲を、黒いフードをかぶった何者かがうろついていて、開幕とともにあらわれる、やはり同じように黒いフードをかぶった登場人物たち。40人を超える原作から、ざっと刈り込まれた役が合計13人。リチャードの遺体を取り囲む、黒く激しい絵のようなオープニングが暴力的に目にやきついている。



オープニングで全員あらわれると、黒いフードをぬぎすて、リチャードの遺体をのせた舞台のうしろに並んだ椅子に、みんな一列にすわりこむ。そして、リチャードの遺体にむけて、そして左右の、対立する人物にむけて、さんざんな文句を言い合うのだ。リチャードが生きていたら、「おいおい、お前たちがそれを言うのか?」と途方に暮れるような。リチャード三世の悪事をのこらず筆記し本にまとめたイーリー司教が、主宰になって、劇は進展していく。時には聖域の守護者となって。


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ばら戦争を舞台にした、シェイクスピアの『ヘンリー六世』三部作とそれに続く『リチャード三世』が、ギリシャ古典劇のオレステイア三部作と似通ってみえた。どちらも大家族のあいだでの憎悪と復讐心が流血のうえに流血をぬりかさねる残酷絵図の大画廊を展開し、神眼的な裁きが終結をつける。舞台のクライマックス、リチャードの遺体を取り囲む黒く激しいオープニングがまた戻ってきて、死霊になった登場人物とともに、生霊と化した者たちもがいっしょになって、リチャード三世に流血のやいばをくらわせる。今と言う時代に(とりわけ我が国において)リチャード三世を舞台化するために、キリスト教的な性悪説だけでなく、人を殺すことに正義しか信じない、ギリシャ古典のオレステイア三部作の源流になった性善説のかがやかしさが暴力的に照り返り、性悪説の泥沼の底からたちのぼる瘴気に息をのむような輪郭をあたえていた。


脚本は、ひじょうにパワフルで、リチャードの危険さをより強く炙りだし、シェイクスピアの原作を凌駕する部分にも富んだ、分厚く、躍動に充ちた、うつくしい舞台のかずかずを展開させた。
セリフはじつにに生き生きと書かれ、シェイクスピアの未発表原稿のセリフかと錯覚するような流麗なセリフがつぎからつぎに登場した。『リチャード三世』につながる、『ヘンリー六世』三部作からつづくランカスター家との対立、ヘンリー六世(ランカスター家)の未亡人マーガレットにむけて、彼女がヨーク公リチャードに紙でつくった王冠をかぶせて殺した『ヘンリー六世』の場面も、ヨーク公夫人(リチャード三世の母親)にしゃべらせていた。
ヨーク公夫人の、重い鉄板がどんどんからだにのしかかってくる役どころには観ていて気がはりさせそうだった。





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そうなのだ、原作に出てこない、新たにつくられた場面のなかでも、少年王エドワード五世が、ロンドン塔で殺される場面はセリフも演出も、血肉的に冴えわたっていて、できるなら、あの場面のセリフをここに引用したくなるほど気に入った。



そしてもう一か所。エドワード五世につづき、またもリチャード三世の命令で暗殺をおこなった刑吏が、その背後から、マーガレットに誰何されるシーン。

マーガレット「お前はランカスター家のものか?それともヨーク家のものか?」
刑吏「(百銭練磨的な小声で)ヨークです」
私が座っていた席(三列目の中央)から見えるふたりの姿は、「刑吏も王の従者の一員である」という中世ヨーロッパの格言を刑吏にふきこみ、彼に語りかける、四面楚歌を絵に描いたマーガレットの孤高の誇り高さが、これも可能なら全文引用したくなるようなマーガレットのセリフとともに屹立させていた。





バッキンガム公の、リチャード三世即位を宣告する高らかな演技がいい。水際立つ、という言葉がもっともふさわしい役者っぷり。バッキンガム公は強欲だが、私利私欲の人とも言い切れない。骨の髄まで宮廷人で、尊大な理想主義者ではなくディーラー。しかしディーラーとして、大きく張れる意欲には手が届かない。ここが彼のジークフリート的な急所だった。とはいえ宮廷をつつむ虚栄の海を、体をはって渡っている。彼の姿を、台本は原作よりリアルに描く。巨万の富をもたらすヘリフォード伯爵領をめぐるやりとりにエドワード四世もまきこみ、原作よりも説得力が増している。


エドワード四世がその妃のエリザベスの手を引いて大色欲を謳歌するシーンが露わになったとき(なんか、書き方が硬いなあ)、シェイクスピアの原作を強いて読んでくる必要はないのだと納得せずにいられなかった。もちろん読ん読んだで楽しみがひろがる仕掛けには欠かないのだが、エドワード四世と、妃様エリザベスにはずぶとく壮健的な欲望(やはり、硬いw)が、うねりをあげていた。
エドワード四世の衣裳がすごい。王室の動物園で飼育される極楽鳥が羽根を広げたような・・・・そして妃エリザベス様、衣裳以上にゴージャスな胸元。
衣裳はいくら褒めても褒めたりなかった。アスリートのようなヘイスティングス卿の衣裳が、ライトに照らされて精緻な文様の微細な綾までうかびあがるほど光沢を放つのが目を射た瞬間、だれの衣裳も目が離せなくなった。



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原作にも出てくる名場面も善戦していた。リチャードがアン夫人を籠絡する、あのあまりにも大事なシーンには裏切られなかった。このシーンはふたりの息がピッタリあっていた。
クラレンス公も期待たがわず、ワインで溺死してくれた。このシーンは面白かった。クラレンスは舞台上で、ワイン樽のなかに沈められるではなく、リチャードがもちこんだ漏斗の、口径がひろがっている部分に顔をめりこまさせる。あたかもワイン樽の中身を漏斗でクラレンスの口にそそぎこむ刑死をイメージさせるかのように、クラレンスを溺死させる。そしてリチャードが退場したあと、クラレンスは亡霊になって立ち上がる。うまい。終演後、クラレンス公の衣裳を間近でみせていただいたが、目で測った浮き織がぶあつい。これは歌舞伎か?っていう位。




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死霊と、そして生霊がいっしょになって、リチャード三世に流血のやいばをくらわせるシーンで、最後にやいばをつきたてる、原作では名前しかでてこない王妃エリザベス(妃エリザベスのむすめ)が、
役者になって舞台にでてきたのにいまいち影が濃くないなあと思っていたその姿が、
刑吏の黒いフードをぬぎすてた、金髪の野獣、「もうひとりのリチャード三世」とともに舞台のラストをかざり、
これまでに幾度も、その美味を味わってきた、絵画的な名場面のギャラリーの最後の一枚をみるような、性善説も性悪説もひとつのながれのなかで勁くとけあう輝かしさで、わしづかみにしてきた。






この公演は、twitterをやってなければ絶対見逃していたはずなので、
twitterのフォロワーとのつながりに、ただただ感謝したい。


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by lecorsaire | 2018-04-23 20:15 | 公演

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


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