谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』:朗読を披露(2017.11.25)
人生に安楽椅子などない。
天鵞絨張りの監獄椅子があるだけだ。
坂本葵さんが主催するイベント「谷崎潤一郎びより」で、谷崎の妖美小説『天鵞絨の夢』の朗読を頼まれたのは2017年の7月の終わりごろ。稽古をはじめたころの暑さを覚えている。
小説とはべつに、舞台劇や朗読詩を書いて、都内で披露してもらったこともある。
しかし、まさか自分が朗読を(それも自作などではなく、谷崎潤一郎の小説!)披露する側に立つとは夢にも思わなかった。
『天鵞絨の夢』の朗読は本邦初の試みで(つまり私が朗読者第一号)、発端(←導入)、「第一の奴隷の告白」「第ニの奴隷の告白」「第三の奴隷の告白」終幕にわたる流れから、「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」だけを抜き出し、一時間以上90分未満をかけて朗読をおこなった。中国を舞台に、得体のしれない大金持ちやその妾が奢侈悦楽におぼれるその周囲に侍った、美少年や美少女の奴隷たちの告白が谷崎の美文でドラマチックに語り尽くされる。
もし全篇を朗読するとしたら、「第一の奴隷の告白(美少年)」「第ニの奴隷の告白(美少女)」「第三の奴隷の告白(ヴァイオリン弾きのユダヤ人美女)」をそれぞれひとつずつ朗読者を変えてみてはどうだろうか。発端と終幕の朗読者を狂言回しにして、朗読者がチェンジする度に場面展開を差配する。なかなか豪華な朗読劇になりそうだ。
今回の朗読では「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」とのあいだに、場面転換の寸劇をやった。
得たものは大きかったけど、苦労の連続。
なかでも一番きつかったのが、本番の延期。
本番も、10月22日の予定だったのに、まさかの風邪。
公演が11月25日(奇しくも谷崎を敬愛して止まなかった三島由紀夫の憂国忌)に伸びた、その月のはじめに栃木へ行き、
私が作詞した音楽「死のゆび」が歌われる『贋作マッチ売りの少女』栃木公演を観て
http://lecorsaire.exblog.jp/26089033/
舞台でのパワァを、涙ボロボロながして存分にいただいたので、『天鵞絨の夢』の要所にふりわけた。
「静かだ・・・」
女王は卓上の、
『天鵞絨の夢』に勝るとも劣らぬ奢り極まる装幀を施した、
『舊新約聖書』を手にとる。
”第七(だいしち)の封印を解き給(たま)ひたれば、
凡(おほよ)そ半時(はんとき)のあひだ
天靜(てんしづか)なりき"
ヨハネの默示錄 第八章
25日の朗読では、気負いもなく、こころもちも静かに、『天鵞絨の夢』の文面を、ほとんど自分の手足のように自在にあやつることができた。
当日は朝の10時ごろからテンションがあがっていて、
まずは自宅で、むしろ気持ちを静めるために朗読台本を読む。
そのあとで庭で生ってる獅子ゆずの大物をひとつ、葉っぱごと切りおとした。
正午ごろには吉祥寺で、「死のゆび」が初演されたライブハウス「吉祥寺曼荼羅」そばのアンティークな喫茶店「ゆりあぺむぺる」のスパゲティで昼食し、そのあとで井の頭公園へ移動。3時まえまで「第二の奴隷の告白」を中心に台本を読む。そして時はせまり、会場の「猫々文庫」が建つ、西永福へ。
会場へ行く前に、駅前の小さい広場で『死のゆび』を聴き、
天鵞絨張りの、阿片窟の夢見心地の実感をつかんでいた。
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ガッツ石松が、ボクシングに出遭ったことで、人生が360度変化したという話が胸にせまる。
180度ではない、断じて180度ではない。360度だ。
今年からはまた、書くほうの試練がつづく。