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我れ若し女帝の密使なりせば

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私はどのようにして「死のゆび」を作詞したか

今回のブログは、2017年12月18日に私が発した以下のツイートに対応する形で書きました。
https://twitter.com/guardia_nobile/status/942762972371230721




永井幽蘭さんから、あたらしい曲の作詞を依頼されたのが2015年の5月ごろでした。
小説を中心にこれまで書いてきた、文藝の筆を、舞台劇の脚本や朗読詩などにおよぼす度に、
思いもかけない悪戦苦闘への直面をくりかえしてまいりましたが、
今回もやはり同じで、作詞の苦行が、これほどのものなのかと思い知る事になりました。


「死のゆび」を書き始めたときに、私の念頭にあったのは 『たそがれの寝室』 という、日夏耿之介が書いた耽美的な物語詩でした。
『たそがれの寝室』 は、日夏耿之介がもっとも名をしらしめたエドガー・ポオの長篇詩『大鴉』の翻訳などといったゴシック奇譚の論客として名をなす以前に、 同人誌 『假面』 で発表した初めての詩作で、『大鴉』の、城砦窓から視線をなげかけるような鬱屈さよりも、ずっと感覚的な、淫靡にせまるほどの官能と耽美を、薔薇窓にほおずりするがごとく追い求め、イタリアの耽美詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオを 「官能の理想主義者」 として仰いだ若き日夏の詩の筆が 「視覚と聴覚の錯綜美」 の一歩をしるし、シアトリカルな絢爛さと、黙示録じみた性的虐殺、けだるい狂恋が渦を巻く、日本人が書いた最もみだらでみやびな詩になりおおせています。 
「死のゆび」 に、淫靡さがみなぎる箱庭かドールハウスの沈鬱な豪華さをふうじこめることができるとしたら、日夏か、そしてダンヌンツィオの詩の仮面を借りてこなければなりませんでした。
もちろん、借りてきたというか、盗んできた仮面はこれだけではありません。アリババの宝物洞窟からひっぱりだしてきたのは、永井荷風の訳詩集 『珊瑚集』、日夏の弟子の仏文学者・斎藤磯雄が翻訳した豪華な訳詩のかずかず。
歌人・塚本邦雄の第五歌集 『緑色研究』 を繙く時には、おおいに渇を癒されました。塚本は甘美さをあらわすのに 「苦い」 という反対語を使う事で甘さを増大させる効果をねらいました。「死のゆび」 のなかで”媚薬は苦く”とあるのは、たぶん『緑色研究』収録の、<ワルキューレにがき油のごとく滿ち馬はその鬣より死せり>がひらめいた折に筆が勢いよく走ったのかも知れません。
当然ながらこの時点で既に私は、創作苦の渦のなかで七転八倒しておりました。



ですが、まだこの時点で私が書いていたのは「ただの詩」で、
音楽にのって歌われる「歌詞」にはなっていなかったのです。


ここで一旦、筆がとまってしまったんです。
「さあいったいどうやって、詩のしっぽに火をつけようか」
歌詞を書き上げるという創作苦の、本当の苦しみがのしかかってきたんです。


おそらく、この時の苦しみの半分かそれ以上は、 「意地」 でした。恥かしいものです。その意地が、さらなる苦しみを生み、そうしてさらなる意地が湧いて出ての繰り返しに苛まされるようになったわけです。幽蘭さんが作詞を依頼してくれたことを最初は念頭に置いていたのにそれをだんだんと脇に追いやって(幽蘭さんすみません)、デカダンの詩歌や、淫靡や媚薬などとはおよそ対極をなす最も遠いところにいる何ものかに出遭えば、その遠さが逆に起爆剤や、発火力をさずけてくれるはずだと信じるようになり、そのあげくに出会ったのが、寺山修司が作詞した 「あしたのジョー」 のテーマだったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=lHgKu5o0xEg


「これだ!!!!」点と点が、一本の線になって繋がる暴虐的な勢いが理想的爆発力の導火線になってひらめきました。
寺山修司は天才だ。異形の造形力に溜息しか出ない。
やはり一番の歌詞が、壮絶さでとびぬけている。
歌手の美童イサオは、・・・・(ごめんなさいボケさせていただきます)
「だけど~~♪」の次にくる歌詞を忘れてしまい(!)、「ルルルル~♪、ルルル~ルル~ルルル~♪」で歌い通してしまった。
一行ごとに、尋常じゃないエネルギーがこもっていて、
一行ごとに、燃焼しなければ歌えない。
これほどの歌詞に、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか。




タイトルの 「死のゆび」 は、「あしたのジョー」 をyoutubeで流しながら歌詞を練っていくうちに、自然とうまれてきたのだと思います。


私はどのようにして「死のゆび」を作詞したか_d0242071_17305900.jpg
いうまでもなく、この時点での執筆がもっとも苛烈をきわめました。
なんで歌詞って、こんなに短くしなきゃいけないんだろう?などと、未曽有の根源論に喧嘩を売るような怒りをこみあげながら、毎晩のように、未完成の歌詞を書き途中のノートを閉じるたびに、溜息をもらし続けました。
書き上げた歌詞をお送りするときに、「もうこれ以上書けません」なんて言った記憶がある。



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こういう歌詞に、作曲をして、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか?




※「死のゆび」が初披露された2015年7月17日のライブ
http://lecorsaire.exblog.jp/21957947/








by lecorsaire | 2017-12-26 17:38 | 創作

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


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