我れ若し女帝の密使なりせば

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国際シンポジウム 「ダンヌンツィオに夢中だった頃―国際詩人の軌跡とMishimaが交わるとき」

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2013年11月2日(土)「ダンヌンツィオに夢中だった頃―国際詩人の軌跡とMishimaが交わるとき」たっぷり三時間強の、長丁場だった。

井上隆史さんの講演は、題目が「聖セバスチャン・コンプレックス-----ガブリエーレ・ダンヌンツィオ/三島由紀夫/デレク・ジャーマン」ひじょうに期待して、この講演にのぞんだのだが、聴いているうちに、「ああ、これはもう自分が知ってる話がほとんどだな!」と気が付いたので、ダンヌンツィオ文藝のもつ様式美、ビジュアルな力強い描写に、最も近い作家のひとりが三島であるという事、ダンヌンツィオについてのいままで知り得た知識の、再認識として聴かせてもらった。ダンヌンツィオの有名な長篇小説『死の勝利』にかぶれて、情死未遂を起こした森田草平や、筒井康隆(エッセイ『ダンヌンツィオに夢中』を書いた)の目から見たダンヌンツィオが語られ、話が三島由紀夫に及ぶと、ダンヌンツィオという「カード」が裏返されて、聖セバスチャンに変わる。処女作『仮面の告白』に何度も登場する聖セバスチャン、三島が翻訳したダンヌンツィオの大長篇戯曲『聖セバスチャンの殉教』。疎外感から解放される歓びを、三島はセバスチァンと、むすびつけた。社会のなかでの死が魂の救済となる逆説を、セバスチァンの殉教に視た。
そして終盤にデレク・ジャーマンが映画に撮った、ダンヌンツィオと直接には関係のない『セバスチャン』の話。話がデレク・ジャーマンまで来た時には既に講演の時間ギリギリになっていたのでほとんど聴くことができなかったのが残念だったが。





メインパネリストで、ヴィットリアーレ財団長のGiordano Bruno Guerriジョルダーノ・ブルーノ・グエッリ氏は、ダンヌンツィオの言う"La bellezza del futuro sarà calva."(ハゲこそ、未来の美しさだ。←やや意訳)を体現し、エリッヒ・フォン・シュトロハイムを彷彿とさせる、見事な禿頭(とくとう)の持ち主だった。ダンヌンツィオ晩年を象徴する大城塞「ヴィットリアーレ」の財団長としての誇りよりも、なによりダンヌンツィオが大好きな、ひとりの読書人として、ファンとして、ダンヌンツィオについて話すのがうれしくてたまらない印象を受けた。グエッリ氏の講演は終始、客席からのイタリア人達の笑いが絶えなかった。グエッリ氏が今回、講演のテーマに選んだのが、「革新の人」としてのダンヌンツィオだった。

ダンヌンツィオは、今風の民主主義的な人間では無かったが、驚くほどの未来志向の持ち主だった。「革新の人」だった。
それまで居なかった、スポーツ記者の元祖であり、ローマの歴史的な邸宅の保護・ボローニャの景観の保護(つまり「文化財の保護」)を提唱した。
広告の重要性にも着目している。ダヌンツィオは、自分がデザインした香水を自分のネームバリューでヒットさせようと目論んだ。もっとも彼の言う広告の重要性というのはまず自分自身の宣伝を第一に考えるものであって、ダンヌンツィオは、自分のイメージを広く世間に流通させるために、肖像画を描かせるだけでなく、大勢の写真家にポートレートを撮らせることを好んだ。オスカー・ワイルドやエルンスト・ユンガーと並んで、ダンヌンツィオはポートレートのもっとも多い文藝作家になっている。
反対にダンヌンツィオのネームバリューを、利用する者たちもいた。そういったひとびとのひとり、イタリア映画黄金期の映画監督でプロデューサーのジョヴァンニ・パストローネは、伝説の超巨大サイレント映画『カビリア』制作にあたって、イタリアにとどまらず、世界的な名声に支えられていた”文豪”、ガブリエーレ・ダヌンツィオを、映画の原作者に選定した。このころは、まだ監督や役者、スタッフというものが重要視されていなかったので、よっぽどの大女優でもでてこないかぎり、映画の評価や成功は、原作者の名前で決まったのである。
じつはダヌンツィオは、『カビリア』の原作も脚本も書いていない。それらはすべて、パストローネが書いたのである。 フィレンツェの古雅な自邸、ラ・カッポンチーナにおしよせる債鬼から逃れてパリに「亡命」していたダヌンツィオをパストローネは訪問し、監督兼プロデューサー兼脚本家はダヌンツィオに、5万リラの契約金と、「原作者として名誉が傷つかない事」を約束し、契約書のサインを手に入れた。
ダヌンツィオは、パストローネが持参した脚本に目をとおすと、タイトルを『火の物語』から、火からうまれた娘を意味する『カビリア』に変更し、字幕をみやびな擬古典風に改作し、登場人物もマチステ、クロエッサ(カビリアの乳母)、カルターロ(カルタゴの、モロク神殿の大神官)など、響き良く改名した。


ダンヌンツィオは文藝の世界でも、「革新の人」だった。二五歳で長篇『快楽』を上梓すると、"甘酒紅恋"というのか、その官能的なムードと、絵画的描写力の輝かしさが、世界にイタリア文学を、再発見させる事になった。ダンヌンツィオと同時代人で、同じようにもっとも革新的な作家であった、マルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイスも、『快楽』の文体やディテールに感服した。

ダンヌンツィオが、義勇軍の統領としてフィウメ市を十六か月占領した際に、フィウメ市を統治するルールとなった「カルナーロ憲章」、この神秘的・・・・もとい進歩的な憲章は、多文化・多民族の融合を説き、学校は生徒たちが運営に参加し、工場も労働者たちが運営、イタリアでは二〇世紀後半まで認められなかった離婚の自由、観劇や音楽鑑賞の無料、ヌーディストやドラッグなどの全面解禁が許されていた。
しかしながらダンヌンツィオは、現実主義的な政治家としては、たとえばムッソリーニの対抗馬になりえるような、革新的な政治視点を、持っていなかった。フィウメでのダンヌンツィオは、司令官として閲兵する兵士たちひとりひとりのライフルの銃口に花を挿して喜んだ。ダンヌンツィオにとって武断による政治とは、名誉と武勲のうつくしさを讃える熱意の証明であり、それ以外の何物にも関心がなかったのかもしれない。第一次大戦でも、飛行部隊"La Serenissima"でウィーン上空を旋回し、爆弾のかわりに50,000 枚もの、自作の詩のビラを投下した。 20世紀初頭の第一次世界大戦に出陣したダンヌンツィオは、しかしルネサンスにマキャベリが登場するよりも以前の世界観のもちぬしであり、絢爛豪華な『死の勝利』を謳う戦争観はさながら鎧武者の馬上吟だった。


駐日イタリア大使、ドメニコ・ジョルジ氏が登壇すると、シンポジウムは、新しい空気に入れ替わった。飛行機マニアで、1920年にローマ=東京連続飛行を発案したダヌンツィオから、宮崎駿の最新作映画『風立ちぬ』へとはなしを、シフトさせる。ミヤザキ監督は、我が国の飛行史に、掛け替えの無い光を照らしてくださったのです・・・・・・・そして最後に、飛行機の名パイロットのごとく(大使閣下も映画Porco Rosso、『紅の豚』のファンでらっしゃる)話をローマ=東京飛行へと鮮やかに旋回させる。「2020年は、日本でのオリンピック開催の年であり、ローマ=東京連続飛行100周年の年でもあります。」この飛行計画が、イタリアと日本が共同で実現させた、世界的偉業である事を強調し、2020年の100周年を記念する一大イベントを祈念して、その講演をしめくくった。

終盤は、映画『風立ちぬ』の大ヒットに沸いた2013年の締めくくりであるかのように、「ローマ=東京飛行」、史上初の欧州日本間飛行に参加した、空軍士官アルトゥーロ・フェラリンの御子息Carlo Ferrarin氏のお話が、貴重なメモや、当時の記録映像とともに展開される。( La Tokyo University celebra Gabriele D'Annunzio ideatore del primo raid aereo Roma-Giappone← 画面にヴィデオが映るまでにやや時間がかかるが、シンポジウム終盤の様子が紹介されている。)

11機で飛び立った飛行隊は海岸線を沿って、バグダッド、カルカッタ、東南アジア、中国を経て飛ぶあいだにどんどん脱落し、東京の代々木練兵場へ着陸したのはたった一機、それがアルトゥーロ・フェラリンの飛行機だった。木と布でできた、安全性もなにも無い当時の飛行機で空を飛ぶことは、ダンヌンツィオの信条だった「危険を生きるという人生」のいわば究極の姿で、通訳を介しマイクから響くイタリア語と複葉機のモノクロ映像を見るうちに、『紅の豚』の空中戦シーンの音楽が頭のなかで自然と鳴っていた。
宮崎駿に、ローマ=東京飛行のドキュメンタリー映画を造ってほしくなった!!!!



イタリア人が綺羅星のように居並ぶ空間で、「ダヌンツィオ」が連呼される約3時間。まったく、夢みたいに楽しい一日でした。
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by lecorsaire | 2013-12-14 12:10 | Gabriele d'Annunzio

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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