我れ若し女帝の密使なりせば

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ROMANTIC+GROTESQUE

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野外劇『ROMANTIC+GROTESQUE』(7月27日~29日の初日を観劇)
http://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/rg2018/


『ROMANTIC+GROTESQUE』を見て、6月下旬に横浜のジャック&ベティで見た映画『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ)完全版と、『アンダーグラウンド』を見る前の2月にJ&Bすぐそばの若葉町ウォーフで見た舞台『贋作マッチ売りの少女』の点と点が、路上劇から始まって進化した『マッチ』の、おそらくは母体だろう『ROMANTIC+GROTESQUE』の再演が産みだした点との妖しい融合を果たすさまも、見ることができた。 

 
「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ)
https://lecorsaire.exblog.jp/26449600/



客席の前にひろがった舞台がわりの二階建ての家がまるで額縁の嵌った巨大な絵でもみるみたいに、絵が額縁ごと、悪い夢が産んだ鳩時計か、仕掛け時計をえがいて、二階建ての家ほどもある大箱から吐きだした、グランギニョールで、華麗にグロテスクな仕掛けを目いっぱいギクシャクいわせている感じだ。


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音楽が聴こえてくると、もう後戻りはできない。
兄と妹?「恐怖のキンパク(小林夢二)」と「貪欲のギンガミ(小林機械)」は女首領とよばれたがるスチームパンクの衣裳を纏った帝国元首がつかわした歯車仕掛けの密使「密使も王の従者の一員である」だとすれば、ふたりが蠢動し、誰もが強烈な墓石彫刻をそびやかし、無限の個性を主張する、皇帝廟の地下空間の上に壮大にひろがる墓地へと迷い込んでしまった「エキストラスター」、忍者のように、誰でもなく、誰でもある、ナンバーワンのエクストラになれる日を夢見ているイクタノゾム(鋤柄拓也)が彼のかわいい恋人で、スチームパンク式オルガンに例えるなら調律がやや狂っているアイドルといっしょに暮らしていた故郷、三千七百五十六丁目四番地を、まるで忍者の里で、忍者になるべくして生まれたのに、そうとは知らずに生活していた忍者の子どもの思い出のように幾多を望み、ふりかえるのだとすれば、暴虐のナナホシ(常盤美紀)、イクタノゾムの恋人でアイドルスター、鋼鉄の鎧の向こうに隠した心の優しさを(ってゆうか役名のナナホシがテントウムシの「ナナホシテントウ」とひっかかっていたことに今ごろ気が付いた 遅)デンジャラスな表現でしか愛情をふりまけないのだとしたら、記者の帳(とばり 小堀佳恵) は死刑囚にして死刑執行人、いまや死神はロマンチックに鎌など持たない、ペンのほうが、惨酷さにおいて鎌よりも、天秤の重さを増している真実にむかって疾走をやめない福音書記者、Evangelist、血の色のインクから、死の街が狂気を噴き荒らす、帝国への反逆の騎手なのだとしたら、タナトス(倉垣吉宏)は豪奢な死を、死を黒い穀物にして備えることを強制し、ギリシャ的古代さで死を讃え、理想は現実よりも尊く、墓石のむれをチェスの駒にし、死にこそ理想の根源を見い出し身も心も蕩けるような唯一無比の死をのぞむのだとしたら、最後に出てきた<???>(三國谷花)、三千七百五十六丁目四番地が中心になって書かれた、帝国元首の机のうえでひろがる世界地図の作者で、骸骨の手でロマンチックなイマジネーションを躍らせた地図のうえには、芝居の登場キャラ全員を変形させた西洋龍やグリフォンや一角獣が手書きイラストで配置させているのだとしたら、




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いや違う。三千七百五十六丁目四番地はもう消えてなくなっていて、芝居はすでに、終わって居た。



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# by lecorsaire | 2018-08-21 19:25

CAFÉ BIANCO カフェ・ビアンカ(兎団23 2018年5月25日 マチネ)




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『贋作マッチ売りの少女』東京公演、『箱男からの思想』を出現させた江古田の<兎亭>のダンジョンに巣食う?『兎団23』には以前から気になっていたが、小説家で劇作家の泉鏡花が大好きだった兎さんのように、超常的にすばしっこく、ヤバめに鋭い歯で、舞台の核(コア)まで、ずんずん掘り進んでいくすがたを見届けることができた。『兎団23』の初体験にふさわしい公演をみることができた。
『贋作マッチ売りの少女』栃木公演・東京公演に出演した菊地晴美さんは、巨大な幽霊城の人形と、その城のかつての姿だった娼館の娼婦を演じ、死を演じたときには絵具の三原色がまじわった漆黒の、シャボン玉がはじけていた。

一番気になった点を書くと、セリフが所々、「舞台の端っこ」に追いやられていて、頭に入りずらかった。娼館のシーンでは特にそれを感じた。「舞台の端っこ」というのは、どうも適格な言葉でない気がするが、もっとよりふさわしい言葉があるような気がするが、セリフをもっと、舞台の中心で聞かせてもらいたかったという、もどかしさがあった。
同時に、見る側である自分が、まだまだ演劇を楽しむ脳ミソを育てていないことをハッキリと思い知らされた。今回の鑑賞体験は、今後もっと多くの舞台を体験するための課題として持ち越していきたい。
役者陣は全員、声はしっかり出ていた。セリフの扱いについての疑問を呈したが、それはセリフの発声のためらいとか、そういう意味ではない。架空の歴史世界(かつては娼館でいまは幽霊城)を舞台に上げるという、無から有を造りあげる錬金術的野心が、「役者陣は総員しっかり声が出ていて聞きずらさ・躊躇いはまったく」無いことによって説得力を得ており、主人公の画家アルトン・モーム(架空の人物)の絵に、命をふきこんでいた。
幽霊城を探検しようと忍び込む高校生カップル、城が娼館だったころに其処の住人で娼婦のヒモだったアルトン・モームの未発見作品を求めて娼館跡に潜入する美術品の怪盗グループ、娼館城に棲みついた幽霊たちが、全篇にわたってオルフェウスとエウリディーチェのギリシャ伝説と一体になった、アルトン・モームと、その最愛の妻を核(コア)に、スタート時には、色がばらばらに入り乱れたルービックキューブの、色を更にカオスへと追い込いでいき、当初6面体キューブだったのが、12面にも、24面にも膨れあがっていく。
キューブの面がアルトン・モームの絵になって見え、キューブのパーツ一個一個にも絵が描かれているといいたいのは御分かりだろう。
絵そのものへと変容した舞台が、立体パズルの自転力をあしもとからすごい音をたててクライマックスへと追い込んでいく。ギリシャ神話の死神を肉迫する、美術品の怪盗グループがアルトン・モームの知識と画集を駆使し、時間と空間をよりあわせる水先案内人になっていく。


このフィクション世界にたったひとりだけ登場する実在の人物が、時空を旅する「不死の人」、画才に秀でたヴァイオリンとチェンバロの名手で、ベラスケスの絵画の収集家だった錬金術師サン・ジェルマン伯爵だったとは。もちろんワタシも大好きだよ。やっと会えた。

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サン・ジェルマンのおかげで、ドラキュラ伯爵も狼女もフランケンシュタインも魔女も、腐っちゃったりなんかしたりした死体(←腐った死体)も、発声の説得力・演出家への心服・舞台への信頼とは別のリアルさが、超理論的に達成されていた。「超理論的」。これ絶対に重要なんだってば。

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くりかえしになるけど、CAFÉ BIANCO に触れたことを、ただ触れただけで終わらせずに、演劇を楽しむ脳ミソを育てていないことを発見したひとつの道しるべにして、これからもっと、いろいろ舞台をみていくための、強心剤にしていきたい。



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# by lecorsaire | 2018-05-28 12:28

リチャード三世(芸術集団れんこんきすた 2018年4月20日 マチネ)


※このブログは、執筆者のtwitterの以下のツイートに沿って書かれている。
https://twitter.com/Guardia_nobile/status/987294455760695302


まずまじめに書いておきたいのは、この感想ブログは、20日のマチネの印象しかカヴァーできてないという事。
そして今回観た、芸術集団れんこんきすた版『リチャード三世』が(原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本および演出:奥村千里)、傑作だったのか駄作だったのか、そんなことはどうでだっていいという事。そっちを期待している方はどうぞ、お読みになるをやめてもらって結構です。




観終わった直後は、えらく昂揚した。重厚で、躍動感にみちあふれた美しさに取り巻かれ、熱に浮かされて、役者たちと会話をたのしみ、会場をあとにした。熱に浮かされてしまった分、かえって言いきれないこともあった。それを今回、このブログに書いていきたい。



公演台本は、原作を凌駕する箇所をいくつもそなえ、ひたすらに、観る側により多くを要求した。そして、演出する側にも、演じる側の役者たちにも(「役者」と言うのは舞台に立つ俳優だけでなく、舞台の裏方に至るまで公演にかかわったすべてのメンバーも含めて)、トコトンまで、要求しつづけることをやめなかったに違いない。


twitterで、公演の役者紹介を発するツイートを読んだらリチャード三世の俳優の役ぶりを「怪演」と紹介していたことには疑問を感じた。欲望を叶えるため貪るためにもっともよく働く知恵を存分に羽搏かせるエゴイスト、「お前は、リチャード。」呼びかけられる私やあなたを、金正恩やドナルド・トランプを演じる役者には、怪人の仮面をかぶせてはいけないのだ。
舞台上で気になったのは、リチャード三世以下、セリフ回しにひらべったさを感じる箇所に時折遭遇し、2回ほどあくびを噛み殺した事。セリフの表情づけについて、舞台をみながら去年の11月にやった朗読劇で、クラシックの、演奏時間が長めで、表情づけがとても上手な曲のCDをいろいろ聴いてきたことが、朗読の表情づくりで大いにたすけになったことを思いだしていた。ただ、一番最初のリチャードの長ゼリフのひらべったさに味気無さをあじわったのだが、それが逆に、どす黒い黒髪がスライムの臭気とともにのたうちまわるような嫌らしさに、クラシック劇の絵姿を脱する幅と弾力をそなえる、説得力をあたえていた。





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公演が始まる前の4月18日の「よい歯の日」に、リチャード三世の遺骨の鑑定の決め手になったのが頭蓋骨の歯だったことをツイートしたのだが、



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いざ観に行った舞台で、冒頭のナレーションにリチャード三世の遺骸発見が、高らかに謳われていたではないか。



開演まえの舞台周囲を、黒いフードをかぶった何者かがうろついていて、開幕とともにあらわれる、やはり同じように黒いフードをかぶった登場人物たち。40人を超える原作から、ざっと刈り込まれた役が合計13人。リチャードの遺体を取り囲む、黒く激しい絵のようなオープニングが暴力的に目にやきついている。



オープニングで全員あらわれると、黒いフードをぬぎすて、リチャードの遺体をのせた舞台のうしろに並んだ椅子に、みんな一列にすわりこむ。そして、リチャードの遺体にむけて、そして左右の、対立する人物にむけて、さんざんな文句を言い合うのだ。リチャードが生きていたら、「おいおい、お前たちがそれを言うのか?」と途方に暮れるような。リチャード三世の悪事をのこらず筆記し本にまとめたイーリー司教が、主宰になって、劇は進展していく。時には聖域の守護者となって。


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ばら戦争を舞台にした、シェイクスピアの『ヘンリー六世』三部作とそれに続く『リチャード三世』が、ギリシャ古典劇のオレステイア三部作と似通ってみえた。どちらも大家族のあいだでの憎悪と復讐心が流血のうえに流血をぬりかさねる残酷絵図の大画廊を展開し、神眼的な裁きが終結をつける。舞台のクライマックス、リチャードの遺体を取り囲む黒く激しいオープニングがまた戻ってきて、死霊になった登場人物とともに、生霊と化した者たちもがいっしょになって、リチャード三世に流血のやいばをくらわせる。今と言う時代に(とりわけ我が国において)リチャード三世を舞台化するために、キリスト教的な性悪説だけでなく、人を殺すことに正義しか信じない、ギリシャ古典のオレステイア三部作の源流になった性善説のかがやかしさが暴力的に照り返り、性悪説の泥沼の底からたちのぼる瘴気に息をのむような輪郭をあたえていた。


脚本は、ひじょうにパワフルで、リチャードの危険さをより強く炙りだし、シェイクスピアの原作を凌駕する部分にも富んだ、分厚く、躍動に充ちた、うつくしい舞台のかずかずを展開させた。
セリフはじつにに生き生きと書かれ、シェイクスピアの未発表原稿のセリフかと錯覚するような流麗なセリフがつぎからつぎに登場した。『リチャード三世』につながる、『ヘンリー六世』三部作からつづくランカスター家との対立、ヘンリー六世(ランカスター家)の未亡人マーガレットにむけて、彼女がヨーク公リチャードに紙でつくった王冠をかぶせて殺した『ヘンリー六世』の場面も、ヨーク公夫人(リチャード三世の母親)にしゃべらせていた。
ヨーク公夫人の、重い鉄板がどんどんからだにのしかかってくる役どころには観ていて気がはりさせそうだった。





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そうなのだ、原作に出てこない、新たにつくられた場面のなかでも、少年王エドワード五世が、ロンドン塔で殺される場面はセリフも演出も、血肉的に冴えわたっていて、できるなら、あの場面のセリフをここに引用したくなるほど気に入った。



そしてもう一か所。エドワード五世につづき、またもリチャード三世の命令で暗殺をおこなった刑吏が、その背後から、マーガレットに誰何されるシーン。

マーガレット「お前はランカスター家のものか?それともヨーク家のものか?」
刑吏「(百銭練磨的な小声で)ヨークです」
私が座っていた席(三列目の中央)から見えるふたりの姿は、「刑吏も王の従者の一員である」という中世ヨーロッパの格言を刑吏にふきこみ、彼に語りかける、四面楚歌を絵に描いたマーガレットの孤高の誇り高さが、これも可能なら全文引用したくなるようなマーガレットのセリフとともに屹立させていた。





バッキンガム公の、リチャード三世即位を宣告する高らかな演技がいい。水際立つ、という言葉がもっともふさわしい役者っぷり。バッキンガム公は強欲だが、私利私欲の人とも言い切れない。骨の髄まで宮廷人で、尊大な理想主義者ではなくディーラー。しかしディーラーとして、大きく張れる意欲には手が届かない。ここが彼のジークフリート的な急所だった。とはいえ宮廷をつつむ虚栄の海を、体をはって渡っている。彼の姿を、台本は原作よりリアルに描く。巨万の富をもたらすヘリフォード伯爵領をめぐるやりとりにエドワード四世もまきこみ、原作よりも説得力が増している。


エドワード四世がその妃のエリザベスの手を引いて大色欲を謳歌するシーンが露わになったとき(なんか、書き方が硬いなあ)、シェイクスピアの原作を強いて読んでくる必要はないのだと納得せずにいられなかった。もちろん読ん読んだで楽しみがひろがる仕掛けには欠かないのだが、エドワード四世と、妃様エリザベスにはずぶとく壮健的な欲望(やはり、硬いw)が、うねりをあげていた。
エドワード四世の衣裳がすごい。王室の動物園で飼育される極楽鳥が羽根を広げたような・・・・そして妃エリザベス様、衣裳以上にゴージャスな胸元。
衣裳はいくら褒めても褒めたりなかった。アスリートのようなヘイスティングス卿の衣裳が、ライトに照らされて精緻な文様の微細な綾までうかびあがるほど光沢を放つのが目を射た瞬間、だれの衣裳も目が離せなくなった。



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原作にも出てくる名場面も善戦していた。リチャードがアン夫人を籠絡する、あのあまりにも大事なシーンには裏切られなかった。このシーンはふたりの息がピッタリあっていた。
クラレンス公も期待たがわず、ワインで溺死してくれた。このシーンは面白かった。クラレンスは舞台上で、ワイン樽のなかに沈められるではなく、リチャードがもちこんだ漏斗の、口径がひろがっている部分に顔をめりこまさせる。あたかもワイン樽の中身を漏斗でクラレンスの口にそそぎこむ刑死をイメージさせるかのように、クラレンスを溺死させる。そしてリチャードが退場したあと、クラレンスは亡霊になって立ち上がる。うまい。終演後、クラレンス公の衣裳を間近でみせていただいたが、目で測った浮き織がぶあつい。これは歌舞伎か?っていう位。




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死霊と、そして生霊がいっしょになって、リチャード三世に流血のやいばをくらわせるシーンで、最後にやいばをつきたてる、原作では名前しかでてこない王妃エリザベス(妃エリザベスのむすめ)が、
役者になって舞台にでてきたのにいまいち影が濃くないなあと思っていたその姿が、
刑吏の黒いフードをぬぎすてた、金髪の野獣、「もうひとりのリチャード三世」とともに舞台のラストをかざり、
これまでに幾度も、その美味を味わってきた、絵画的な名場面のギャラリーの最後の一枚をみるような、性善説も性悪説もひとつのながれのなかで勁くとけあう輝かしさで、わしづかみにしてきた。






この公演は、twitterをやってなければ絶対見逃していたはずなので、
twitterのフォロワーとのつながりに、ただただ感謝したい。


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# by lecorsaire | 2018-04-23 20:15 | 公演

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 3

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 1
http://lecorsaire.exblog.jp/26449600/

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 2

http://lecorsaire.exblog.jp/26453004/





舞台はその破天荒ぶりに、いよいよ拍車がかかる。
サナトリウムからジオが去ると、入れ替わりにあらわれた、幻想都市ロンドンの怪人ジャック・ファントムが黒マントの奥にたっぷりとつめこんだ、ロンドンじゅうの悪罵の集合体をヴァンにあびせる。

しかし、サナトリウムの外にふきつける死の冷気は、(サナトリウムの)中までは追ってこない。ジャック・ファントムは唇をかみしめる。
看守のイルマは「サナトリウム中学校」でショック療法に邁進する保健室の先生を、しおらしく気張ってみせるが気持ちが折れ、新米教師のように泣き崩れる。これがかわいい。
ジャック・ファントムが、イルマの目にはみえない姿でつぶやく。
やれやれ、ここがクソ学園などではなく、楽園なのだと気付いてないのだな・・・・・・・・・・・・・・まだ。

「お前笑えよ」

ジャック・ファントム (サナトリウムに居る誰も、ゴッホとアルトーを狂人よばわりしないではないか。人食い王も、盗賊王もアブサン王も、破綻した病院世界のあちこちを永遠の暴虐でみたし、この破綻がかれらを救っているのだからな。)


人食いソニー・ビーン「お前笑えよ、 笑うと美味そう」
このセリフは、終演後にじわじわと胸にせまってきた。ヴァンの体から、ひまわりの香りが空たかく、星月夜をこえて天空へと舞い上がる、あたたかい香りの軌跡を、闇のむこうから、サナトリウムじゅうの目が凝視する。






ステージ後方の、マイク・スタンドに大島朋恵が立つと、
そこにはジャック・ファントムの残り香が漂っている。「死のゆび」にも、怪人のマントの襞が幾重にも光沢をひろげている。

ヴァンとポールの共同生活が、徐々に信頼を崩壊させていく軌跡をひるがえしてダンスを舞う。
絵の中の葡萄畑がオペラのような落日いろに染まる。
縦横無尽であって翳りに満ち、凶暴でうつくしい。右と、そして左それぞれの顔面をそれぞれ別々の造形作家がつくって、真ん中でつなぎあわせたら、片顔面どちらかのせいで理想的な顔立ちにならない。「お前の自画像、耳の形がおかしいんだよ!!!」
ポールがヴァンとのあいだに生じた裂け目の不連続面に激発する、その背後にはジャック・ファントムの哄笑がとどろく。






黒い炎に映える白装束のポールとアルルがステージのうえを残酷な人形芝居のように、弦楽器の弓のようにナイフが、アルルの首を這い、喉笛を切り裂く。






サナトリウムのシーン以降は終幕まで、閉鎖病棟から死ぬまで出られないにちがいない、ヴァンの回想と妄念が舞台化されていくように、ズタズタな切れ味をさらしてロンドンを狂奔し、エウリディーチェを失ったオルフェウスの心身をめったうちにされ、のた打ち回る。
アルルがきえた街をヴァンのナレーションがうつろにひびく。「マッチはいりませんかッ」死滅した、娼婦アルルの香水が波打つように幻想都市ロンドンの住人がマッチの火を手にズラリとならぶ。

”アルル”(大島朋恵)がジャック・ファントムの残り香がただようマイク・スタンドに立ち、歌う「次に会う時は別人の顔で」は痛烈にひびいた。「消えてしまえばいい、と」を歌い上げた瞬間に空気が変わる。アルルが死滅すると同時にあらわれる悪寒が、背筋に冷水をはしらせた。
涙目になって、ピストルをかまえるヴァン。もう目を反らせない。いやだ。あなたを死なせたくはない。「なあ、この絵美しいだろ?彼女の笑顔が、ここにはあるんだ!」
毎回のようにこの場面で泣いてしまうのだが・・・・今回も。



舞台のラストで、アルルが「私ほんとうは娼婦じゃないの」とつぶやく時、
ヴァンのアルルへの愛が、アルルの笑顔のうつくしさが、ステージいっぱいにひろがるを見ずにいられなかった。

黒い、死の国から迎えにきたアルルは、
初めて会った時のように沈鬱な風情で、
薔薇の園丁が挟を入れるように静かに、ヴァンの喉元に噛みつく。


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  終幕  .☸☸ڿڰۣ—☸ڿڰۣ—*.☸ڿڰۣ.☸ڿڰۣ—☸




2公演とも最前列で観て、マチネでは、何も知らずに座った左から2席目の、右から俳優たちが駆け抜ける。ゴシック劇も惨酷劇もそのやいばを光らせたまま、うずくまり、絶叫する。あんなにもハイテンションなステージを演出し、俳優たちをひっぱって心服させている演出力に脱帽した。
俳優たちの大合唱では、栃木公演と同等か、あるいはそれをしのぐ総力を見せた!最前列だから、声あげて泣きそうになりながら見ていた。
人生観をおおいにゆさぶられるステージに出会った。「石は砕け散るが、言葉は永遠に残る」というセリフは、時折ふところから取り出して握りしめたくなる。
『贋作マッチ』の俳優さんたちが今後、どのようなステージを見せてくれるのか非常に楽しみにしている。





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写真は栃木公演にて。舞台が終わって、歌姫の大島朋恵さんと、”死のゆび隊”。 
※写真は掲載許可をいただいております。


死のゆび隊:ヴァンとポールの絵でいっぱいのアトリエで、絵のイーゼルから変容し、額縁に彫りだされたレリーフの蛇体をくねらせて、床にひろがった落日の甘い蜜の池にもぐりこみ、くるおしくしゃぶりつく、しろへび達。

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私が作詞し、永井幽蘭さんが、これ以上ないほどピッタリな作曲で応えてくれた「死のゆび」が、大島朋恵さんの歌と、舞台芸術創造機関SAIの手に届き、『贋作マッチ』の壮麗なワンシーンを誕生させてくれた。
シーンのおわりでヴァンがつぶやく「おやすみ、ポール」が、ダンスと歌のくるおしい滑空の、優雅な着地をえがく。



栃木公演のあと、私は朗読劇の出演をひかえていて、「がんばってくださいよ!」と幽蘭さんと大島さんから励ましを賜り、本当は栃木公演のまえにやるはずだったのに、風邪をひいて中止においこんだ『天鵞絨の夢』の朗読を、(谷崎潤一郎の長篇小説。光栄なことに私は『天鵞絨の夢』の朗読披露第一号)みごと成功させることが叶った。



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# by lecorsaire | 2018-02-16 18:28

「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 2


「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 1
http://lecorsaire.exblog.jp/26449600/



そして・・・・・・遂にこれを書く時が来た。
神奈川公演で度胆をぬまれたのが、”霊薬の製法を知る男”修道士デストレの登場シーン。「神はどうせ助けてはくれぬ / 私が、この世で最も愛する者を神は奪った!」ヴェクサシオンの曲、「ドラクル」の朗読詩を絶叫して登場するデストレ。そうか、デストレの・・・・人造人間キカイダーか「AKIRA」の鉄雄みたいな両腕は、デストレ役の恩田純也さんが「贋作マッチ」漆黒公演で演じたポール・ゴーギャンのルックスに酷似しているではないか。漆黒公演でポールが、ヴァンの描いた自画像を破壊する。「お前の自画像、耳の形がおかしいんだよ!」とどろくヴァンの狂声。人界での確執を超越した異次元的場面のつづきを見い出さずにはいられなかった。そしてデストレのなかに、ジャンヌ・ダルクをうしなった絶望の末に小児殺しと錬金術に耽溺するジル・ド・レの暗像を見ずにいられなかった。「神よおまえは、私の病める魂を救ってくれなかった」漆黒公演の地下室から這い上がって、・・・・・・アルルをうしなったヴァンがロンドンを狂奔するように、ジャンヌ・ダルク・・・・・・・ヴァンをうしなって、霊界の船旅に帆を駆るポール・ゴーギャンは小児切り裂き魔の青い髭の光をしたたらせ、孤島の修道院の霊薬に開眼した。デストレは、神奈川公演に賢者の石の隕石になって落下してきた。

音響が、まるで見えない俳優になって火であぶった匕首のように冴えわたる。
デストレ出現に驚愕する幻想都市の暗黒結社たち、
闇の詩人ヴィクトル・ユゴーはデストレからわきあがる光の沸点に目がくらみ、
シャーロックの、麻薬が総身にゆきわたってシャンとはりつめた筋肉で繰りだすボクシングのパンチを撃退し(もしシャーロック得意のヴァイオリンで狂気をあびせてもたぶん撃退されそう)
シャーロックのライバルのモリアーティ教授が裂帛の気合いとともにくらわす跳び蹴り・・・・・これはシャーロック得意の日本武術の、バリツ? 
これも撃退!!


ところが最後にひかえる錬金術師エリファスは、デストレを自分とおなじ境遇に見ていたようだ。
エリファスが、秘蹟の杖をふりあげる。カトリック司祭から出発しアナーキズムの情熱を爆発させたのちに神秘主義の扉をひらくエリファスが、錬金術の説く「絶対的な中心の探求」の旅の途中で出会ったデストレに、「恐れるな!」と戒めるかのように。杖の軌跡が、音響と呼応する。
デストレ(漆黒公演のゴーギャン)は出会いを果たす、神奈川公演のゴーギャンに。霊薬をゴーギャンに手渡し、ジャンヌ(漆黒のヴァン)がいる世界へ、喉を切り裂かれて旅立ってゆく。
このシーンで、大島さんが歌うヴェクサシオンの「ドラクル」からは炎天下にそそがれる冷たい潤いをうけとった。


栃木公演でのデストレとエリファスのシーンが、いまいち腹まで降りてこなかったのが心に残っていたので、神奈川公演でその言わば「借り」を自分なりに返せたのではないか。少々胸焼けしたけれど。




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ヴァンの弟ジオに、はじめて遭遇した栃木公演では「老獪で鉄面皮」、劇作家の情熱の氷漬けをかぎとり、こういう役は俳優もさぞかし大変だろうなあと溜息がもつれていると、
東京公演でふたたび遭遇(あの出だし、すごいよかった)した時には「白夜」と「漆黒」それぞれが、”ジオ様”を降臨させ、死の天使の誘惑にSNS上が狂喜乱舞・・・・

ここで終わらなかった。終わってほしくなかった。







やはり「贋作マッチ」は期待を裏切らなかった。
ファイナルの神奈川公演に至って、ヴァンが収容されたサナトリウムの俳優や看守たちを震撼されるマックスハイテンションを謳いあげる、<最終形態ジオ>が披露されたのだ!!!!



アルトーをヴァン・ゴッホにしたてあげたジオが、アルトーをコントロールできない苛立ちを爆発させる姿にこれまで栃木、東京でみてきたジオたちの哀しみや苦しみが痛烈におおいかぶさる。


ルイ・フェルディナン・セリーヌがハンガリーの医師ゼンメルヴァイスに下された無理解を慨嘆する霊筆に、アルトーの「ヴァン・ゴッホ」との交感を読み取る人はいくらでもいるだろう。
"人は炎の暖かさを愛することはできる、だが火傷したいとは誰も思わない。ゼンメルヴァイス、これは炎だった。"
(菅谷暁訳『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』)
早くこの本、日本中に溢れかえれ。



東京公演が終わったあとも、ジオの俳優たちが、ある時はハイテンション(漆黒)、ある時は「きょうはもう駄目」(白夜)。
ああこの役・・・・・・俳優をとことん締上げる。
神奈川公演が終わったあとで、ジオと話す男性の声が茫然自失していた。

栃木、東京、そして神奈川へと、レー医師と、ジオとのやりとりがその内面を変転させていくさまを見てきた。幻想的正確性をきざむロンドンの尖塔時計の外見に内含された堅牢な歯車の群を、栃木から出発し東京へ移行するにあたって緻密なパーツを大量に増加させて緻密な表情をめいっぱいさらした。あるときは凶悪なきしみ音をさらし、あるときは脆すぎるほどのしなやかさですすり泣く。それは神奈川版にいたり、はずみのつき過ぎたテンションで緻密なパーツが持ちこたえられなくなった。 栃木版からは大舞台の解放感を、東京版では緻密な小説の躍動を目撃し、神奈川版では、ゴッホの絵をさかさまにかかげて、その画面いっぱいに、短くて強烈な詩の走り書きをほどこす、レー医師とジオの変転を見届けることができた。





「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ) 3につづく
http://lecorsaire.exblog.jp/26482998/


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# by lecorsaire | 2018-02-09 22:49

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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