我れ若し女帝の密使なりせば

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久作怪聞希臘兇歌(拙作)


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発表は1999年の夏頃。
夢野久作の『瓶詰の地獄』『ドグラ・マグラと、ギリシャ古典劇、アイスキュロスのオレステイア3部作を綯い交ぜにして書いている。
いまの筆力と引き換えに失ったエネルギー(原動力はリビドー)が、所々に顔を出している。

読み返してみると、当時の、常になにかに追い立てられている余裕の無さがそのまま作品になっている。





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# by lecorsaire | 2018-10-30 23:33

9/29(土) 『MasqueraDead』、『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレ  2



9/29(土) 『MasqueraDead』、『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレ  1
https://lecorsaire.exblog.jp/27142851/






Ⅱ.  17:00 『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町』ソワレ
入口でならんだ順に降りていくと、さっきまで『MasqueraDead』の会場だった、アトリエ・サードプレイズ地下一階に案内された。

「?」
地下二階に案内されるはずなのにどういう訳だと思っていたら、終演後のトークショーをここでやるので、その席を「前取り」しておいてほしい、ということだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほどなく『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレ開場が告示されると、トークショーの席がうしろの人びとを先頭に、地下二階へと降りて行くことになった。

「??」
ええっ、これじゃあ後ろのほうの席しか座れないじゃないか・・・・と思って地下二階に行くと、


「!」
「全席ほぼ最前列 という仕様」と聞かされていたことに納得した。
https://twitter.com/SAI20XXtwt/status/1040234549957996544
演目が、八方からみえる構えに、客席が配置されていたのだ。



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あらすじ:
夜の公園のモク(煙草の吸殻)拾いの老婆が、ベンチの恋人たちの邪魔をしながら拾ったモクを数えている。それを見ていたほろ酔いの詩人が老婆に声をかける。詩人は、ベンチで抱擁している若いカップルたちを生の高みにいると言うのに対し、老婆は、「あいつらは死んでるんだ」、「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と言う。
そのうち老婆は自分が昔、小町と呼ばれた女だと言い、「私を美しいと云った男はみんな死んじまった。だから、今じゃ私はこう考える、私を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだと」と説明した。笑う詩人に老婆は、80年前、参謀本部の深草少将が自分の許に通ってきたこと、鹿鳴館の舞台のことを語り出す。
すると、公園は鹿鳴館の舞台に変貌し、舞踏会に招かれた男女が小町の美貌を褒めそやす。詩人(深草少将)は19歳の令嬢となった美しい小町とワルツを踊り、小町(老婆)の制止も聞かず、「何かをきれいだと思ったら、きれいだと言うさ、たとえ死んでも」と宣言し、「君は美しい」と言ってしまう。そして、「僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで…」と言い死ぬ。
「もう百年」と老婆が言う。すると、再び舞台が公園のベンチに戻る。死んだ詩人は警官たちに運ばれ、99歳の皺だらけの老婆は、またモクの数を数えはじめる。

※source: https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E8%83%BD%E6%A5%BD%E9%9B%86_%E5%8D%92%E5%A1%94%E5%A9%86%E5%B0%8F%E7%94%BA
※「深草少尉」 と書かれているが少尉ではなく少将。



開演前の、客入れ時間に、般若心経の録音が重心低音を轟かせる。古典能楽の『卒塔婆小町』の卒塔婆にあたる、公園の木製ベンチが照明をあびて白くかがやき、
その周囲を、客席の客にまじって、明るさを剥ぎとられた影ぼうしのアベックが「色即是空、空即是式」、砂金を下地に塗った黒いろで、むつみあう。


大島朋恵が演じる、99歳のむくつけき老婆が登場する。アベックたちが、老婆の陰にぞくりとする。
発した声の、ぎょっとするほど真に迫る形相に、酔いどれた詩人との対話に、だんだんと時間が消え失せていくのを感じる。
影ぼうしの詩情豊かさはこれぞ幽玄美。
アベックのセリフは、影に覆われ、
彼らの嵌めた腕時計もろとも
役者たちがみんな、アベックから、「詩情」(情念)になっていく。

心のなかで感じる手触りが、どんどんぶあつくなっていくのが、頼もしい。

老婆は詩人の手を引いて、80年前の、鹿鳴館のワルツの中心へと、19歳だったころの小町のすがたで分け入っていく。

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鹿鳴館でのダンスで輝かしくなりひびくワルツは、ウェーバーの「舞踏への勧誘」。 
https://www.youtube.com/watch?v=Mf8kheUuEAA

この曲は思い出すのが、三島原作の映画『美しい星』でもインチキ健康水の会員逹がパーティーをひらく豪華な会館に登場して、うさんくささと俗悪さをかきたてていた。
けばけばしい成金趣味にうつつをぬかした、鹿鳴館の客たちのダンスがピキパキと、俗悪と手に手をとって交錯するのは序破急の破だろうか?
その中心で、参謀少将・深草の手をとって
俗悪に折り重なる衣裳、香水、宝飾の山頂にのぼりつめる、
この世ならぬ、まさにこの世ならぬほどの、大島朋恵の美しさは、
ため息をつくどころではないのだ。




今では、小町と少将の、華麗なセリフなどきれいに消えて、セリフまわしの起伏なんぞサッパリ消えて、あとにはサーっと、枯淡にみちた、真っ白い砂地が月明かりを浴びて、どこまでも拡がっていくのが、はらわたの中に残っている。
砂の表面には、シワのような襞が幾重にもつらなり、秋海棠の西瓜色がほんのり映え、セリフは残像が、砂地に足跡がきれいに映えるように鮮やかに焼き付いている。



音もなく砂の上にたおれるように、公園のベンチのそばで、白くかがやき死んだ少将詩人を、巡査が、浮浪者たちに指示して屍骸を片づけさせるシーンから、舞台が異様な巨大さをみなぎせ、息を呑んだ。
老婆小町の背後から鳴り響く1945年8月の玉音放送が、会場をおしつぶすほどひろがっていき、時間の流れでできた円周を活性化させる。

スマホのシャッター音が、時間の流れの巨大さを、能面箱にふうじこめる。幕。


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クライマックスでマッチを盛んにするシーンが、寺山修司だとか、アングラであるとかを彷彿させるという指摘が公演後のトークショーで登場したが、
篝火に照られた、能舞台の迫力を思って、観ることができた。
八木タケルさんの演出力に感服した。役者もスタッフも、臨界点まで、烈火の火文字さながら三島由紀夫の篝火を灯していた。



まだまだ噛み砕ききれない部分もいろいろある公演なので、
現時点で書ける事だけを書いた。





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# by lecorsaire | 2018-10-11 16:29

9/29(土) 『MasqueraDead』、『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレ  1



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台風第24号「チャーミ」上陸を前日にひかえた9月29日土曜日の、既にやや不穏な雨のなか、気圧の低さにも少々だるくなりながら、<舞台芸術創造機関SAI アバンギャルドシアター>による、三島由紀夫の舞台2本が観られるという期待はやはり大きかった。最初に観る『MasqueraDead』は、三島の処女長篇で『金閣寺』に次ぐ傑作『仮面の告白』の、いわば”SAI版”といえる舞台化になる。どんな舞台になるのか。


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Ⅰ. 14:30 『MasqueraDead』
江古田駅を降りて向かった、アトリエ・サードプレイズ地下一階の『MasqueraDead』会場に入ると、最前列が既にすべて荷物で埋まっている。
「?」
入口でならんだ順に降りてきたどういう訳だと思っていたら、ほどなく『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』マチネを観終わった地下二階のお客さんが上ってきて、最前列に次々座っていった。
今回の公演、最前列で観られなかったことは、やはり、痛手だった。




私の名前はキミ。
見た目は女、心は男、好きになるのはもちろん男・・・。
そんな私が好きになってしまったのは中学時代に憧れていた、初恋相手、
先輩(女)だった!!大変!!!
とある事件をきっかけに、回りだす私たちの運命の歯車・・・。
先輩はある日、真実を告白する。
「私は、男なんです。」
待って待って!!先輩は私が男だって気が付いていない!!

『仮面の告白』をモチーフにした新作朗読劇。
告白と告白がぶつかりあう想定外過ぎる恋の行方。
その結末は如何に??!

以上、http://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/av02mishima/ 掲載の『MasqueraDead』-物語- より、引き写し。




結論から言えば、『MasqueraDead』は原作の『仮面の告白』のエレメント、息吹きも、とっくと味わえる、”SAI”がてがけた、いつもながらの鮮やかな演出と舞台だった。60分強の上映時間は凝縮され彫琢された文体をおもわせもしたし、プロジェクターが役者もろとも壁へとスマホの画面がうつしだすのも、目線が高揚するだけではなく、説得力も感じた。この舞台では終始、だれか絶えずスマートフォンを操作している。自然を精巧に模造し哲学を築きあげる日本庭園のような静かな調和をおそらくは理想にしてつくったはずの国産スマートフォンが『MasqueraDead』のなかに持ち込まれると、残酷も破壊願望も綯いまぜにして、工藝品のようなスマートさでできたマスク(仮面)の箱のふたで封じられた、攻撃し、制圧し、奪って、破壊する、ほんとうの美が、封印を解かれるのを待ちつづけているのだ。しかし、スマートフォンの画面には、うっすらと、傷がうまれかかっているのをオープニングから察知できた。


キミという名前は、三島由紀夫の本名の、平岡公威(ひらおかきみたけ)のキミだろうか、それとも・・・・・・

常盤美妃(とっきー)さんのキミが、透き通った綺麗な声で、ちっちゃくてかわいい。『贋作マッチ売りの少女』で幻想都市ロンドンのヴァン・ゴッホをピーターパンのように駆けずり回るのがかさなりあう姿で、Tokyoをパンツスーツで闊歩すれば、かっこかわいさ!で就活女子と勘違いされる。ちなみにキミ役の常盤美妃が文京区本駒込の画廊「ときの忘れもの」で忘れ物をすると「とっきーの忘れもの」になるわけだが、それは今回の公演とは関係ないw



離婚も経験しているキミは、つよくなりたい「男の子」なので、ジムに通っている。そのシーンに登場するインストラクターが、筋肉自慢のSAI製作局長渋谷翼さんだったのは、やはりといえばいえるのか。これ渋谷さん初舞台?今後もSAIの舞台に登場する??


キミのかわいさに、キミがオーミ先輩に、学生時代からずっと恋し続けてるのも知らずに、・・・・・・・・ある時オーミが、男の心で、ひとめぼれしてしまう。
三島由紀夫の『仮面の告白』の前半に、荘厳な文辞のつらなりに、澱んだ、あやかしの影をおとす「近江」が、平成に転生したのか。ふてぶてしさは変わらない。オーミは人気のユーチューバ―で、詩人で、実力のあるライター。キミはオーミが、セクハラ上司に公園で襲われそうになったところをボコ殴りして助けたのを縁に、キミの別れた夫が残した家で、ふたりは同棲をしている。



舞台は、ときおりダンスでも語っていたが、主軸になってのは、朗読劇だった。
朗読をぶつけあってうまれるセリフのやりとりは、三島独特の荘重体・デカダン文体の模倣ではない。しかし、朗読の一人称、「あたし」と「僕」と「わたし」と「おれ」が、キミとオーミのなかの女と男を、心が勝手にボールのようにうごきまわるのをもてあそび、
能楽の衣裳の残像が、幾重にも残って見えるさまをえがいているようにみえた。オーミもキミも、あるいは能面と能衣装のおもさの奥で、きりきりと炎を燃やしているのではないかと、最前列のひとつ後ろの席から、もどかしさに食い入って居た。



オーミがキミに、自分は男であるという秘密を打ち明ける場面が一番心に残った。ふたりとも客に背を向け、顔もみえないので、まるで能楽の広大無辺が奔流し、発狂して白目が金色にかわっていく顔と、銀いろの真砂と青いろのそらが脳裏にひろがってみえた。



能楽、能楽とうるさいのは許してほしい。『MasqueraDead』の次に観た『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレの印象と綯い交ぜにしないと、この仮面の告白の化身を語りきる事ができないのだから。
キミが『仮面の告白』を読んでいるシーンは、マノエル・ド・オリヴェイラの映画『アブラハム渓谷』で映画の原作の『ボヴァリー夫人』(作者はフランス語の文体魔人フローベール)を、映画の中でヒロインが読んでいるシーンを連想して観てたりしたけど、キミが舞台上で読んでいたのは、『仮面の告白』のこのシーンだろうか・・・・・・主人公の「私」が、送り迎えの駅のホームにあらわれない恋人の園子が、いままさに走り出した電車の柵のむこうから別れを惜しむ声をあげる姿に胸の奥がしめつけられる、しかし、この胸をしめつける、この「感情」は、一体なんだ??この感情を抱いた報いは、鋭い疲労で、懲罰への深まりだった。「この一種透明な苦しみの性質は私が自分自身に説明してきかそうにも、類例のない難解なものだった(三島由紀夫『仮面の告白』)」もうおしまいだ、もうおしまいだ、と「私」が呟くまでの、この数行に籠められた、極寒の高揚が、『MasqueraDead』へと受け継がれ、キミがオーミへと投げかける、情のちからが、それそのものが生き物のちからと重量とを得、情の勢いに身を委ねても、それが、「愛情」にも、まして「幸福」にも繋がらす、苛立たしさだけがこみあがり、幸福をはねのけ、「快楽」を追求する、悲劇的なものに重厚な手触りを求めていく姿が、執拗な反復をえんえんと繰返し、能楽をみているような、反復の積み重ねにやがてオーミがぶちぎれる。調和であり文体でもある、スマートフォンの画面が、ぱっくりと傷をひろげて絶叫する。オーミは「近江」だったころの暴君ぶりを、片時もわすれていなかった。

こもだまりさんの、オーミを演じきった、ききわけの良さに着地しない、「死刑囚にして死刑執行人」、殉教する聖セバスチャンの舞踏が、つめたい円環をえがいて、暗転、幕。





「オーミ」と「キミ」は今回、適役を得て舞台上に現れた。
ただ個人的には、「沈鬱な調和をえがいた静かなたたずまい工藝品のようなスマートさでできた仮面の箱のふたで封じられた、攻撃し、制圧し、奪って、破壊する、ほんとうの美」の、封印を解かれた暴れ様というものにはまだ、物足りなかった。再度の上演に出遭う事がある時には、ここにも大いに期待したい。



『MODERN NOH PLAYS-卒塔婆小町-』ソワレまでのしばらくの間、頭の風通しをよくしたいので、空気を吸いに、地上へあがって、江古田駅前を散歩した。




*つづく*→ https://lecorsaire.exblog.jp/27156287/


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# by lecorsaire | 2018-10-04 18:05 | 公演

ROMANTIC+GROTESQUE

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野外劇『ROMANTIC+GROTESQUE』(7月27日~29日の初日を観劇)
http://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/rg2018/


『ROMANTIC+GROTESQUE』を見て、6月下旬に横浜のジャック&ベティで見た映画『アンダーグラウンド』(エミール・クストリッツァ)完全版と、『アンダーグラウンド』を見る前の2月にJ&Bすぐそばの若葉町ウォーフで見た舞台『贋作マッチ売りの少女』の点と点が、路上劇から始まって進化した『マッチ』の、おそらくは母体だろう『ROMANTIC+GROTESQUE』の再演が産みだした点との妖しい融合を果たすさまも、見ることができた。 

 
「贋作マッチ売りの少女」神奈川公演(2月4日マチネ・ソワレ)
https://lecorsaire.exblog.jp/26449600/



客席の前にひろがった舞台がわりの二階建ての家がまるで額縁の嵌った巨大な絵でもみるみたいに、絵が額縁ごと、悪い夢が産んだ鳩時計か、仕掛け時計をえがいて、二階建ての家ほどもある大箱から吐きだした、グランギニョールで、華麗にグロテスクな仕掛けを目いっぱいギクシャクいわせている感じだ。


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音楽が聴こえてくると、もう後戻りはできない。
兄と妹?「恐怖のキンパク(小林夢二)」と「貪欲のギンガミ(小林機械)」は女首領とよばれたがるスチームパンクの衣裳を纏った帝国元首がつかわした歯車仕掛けの密使「密使も王の従者の一員である」だとすれば、ふたりが蠢動し、誰もが強烈な墓石彫刻をそびやかし、無限の個性を主張する、皇帝廟の地下空間の上に壮大にひろがる墓地へと迷い込んでしまった「エキストラスター」、忍者のように、誰でもなく、誰でもある、ナンバーワンのエクストラになれる日を夢見ているイクタノゾム(鋤柄拓也)が彼のかわいい恋人で、スチームパンク式オルガンに例えるなら調律がやや狂っているアイドルといっしょに暮らしていた故郷、三千七百五十六丁目四番地を、まるで忍者の里で、忍者になるべくして生まれたのに、そうとは知らずに生活していた忍者の子どもの思い出のように幾多を望み、ふりかえるのだとすれば、暴虐のナナホシ(常盤美紀)、イクタノゾムの恋人でアイドルスター、鋼鉄の鎧の向こうに隠した心の優しさを(ってゆうか役名のナナホシがテントウムシの「ナナホシテントウ」とひっかかっていたことに今ごろ気が付いた 遅)デンジャラスな表現でしか愛情をふりまけないのだとしたら、記者の帳(とばり 小堀佳恵) は死刑囚にして死刑執行人、いまや死神はロマンチックに鎌など持たない、ペンのほうが、惨酷さにおいて鎌よりも、天秤の重さを増している真実にむかって疾走をやめない福音書記者、Evangelist、血の色のインクから、死の街が狂気を噴き荒らす、帝国への反逆の騎手なのだとしたら、タナトス(倉垣吉宏)は豪奢な死を、死を黒い穀物にして備えることを強制し、ギリシャ的古代さで死を讃え、理想は現実よりも尊く、墓石のむれをチェスの駒にし、死にこそ理想の根源を見い出し身も心も蕩けるような唯一無比の死をのぞむのだとしたら、最後に出てきた<???>(三國谷花)、三千七百五十六丁目四番地が中心になって書かれた、帝国元首の机のうえでひろがる世界地図の作者で、骸骨の手でロマンチックなイマジネーションを躍らせた地図のうえには、芝居の登場キャラ全員を変形させた西洋龍やグリフォンや一角獣が手書きイラストで配置させているのだとしたら、




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いや違う。三千七百五十六丁目四番地はもう消えてなくなっていて、芝居はすでに、終わって居た。



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# by lecorsaire | 2018-08-21 19:25

CAFÉ BIANCO カフェ・ビアンカ(兎団23 2018年5月25日 マチネ)




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『贋作マッチ売りの少女』東京公演、『箱男からの思想』を出現させた江古田の<兎亭>のダンジョンに巣食う?『兎団23』には以前から気になっていたが、小説家で劇作家の泉鏡花が大好きだった兎さんのように、超常的にすばしっこく、ヤバめに鋭い歯で、舞台の核(コア)まで、ずんずん掘り進んでいくすがたを見届けることができた。『兎団23』の初体験にふさわしい公演をみることができた。
『贋作マッチ売りの少女』栃木公演・東京公演に出演した菊地晴美さんは、巨大な幽霊城の人形と、その城のかつての姿だった娼館の娼婦を演じ、死を演じたときには絵具の三原色がまじわった漆黒の、シャボン玉がはじけていた。

一番気になった点を書くと、セリフが所々、「舞台の端っこ」に追いやられていて、頭に入りずらかった。娼館のシーンでは特にそれを感じた。「舞台の端っこ」というのは、どうも適格な言葉でない気がするが、もっとよりふさわしい言葉があるような気がするが、セリフをもっと、舞台の中心で聞かせてもらいたかったという、もどかしさがあった。
同時に、見る側である自分が、まだまだ演劇を楽しむ脳ミソを育てていないことをハッキリと思い知らされた。今回の鑑賞体験は、今後もっと多くの舞台を体験するための課題として持ち越していきたい。
役者陣は全員、声はしっかり出ていた。セリフの扱いについての疑問を呈したが、それはセリフの発声のためらいとか、そういう意味ではない。架空の歴史世界(かつては娼館でいまは幽霊城)を舞台に上げるという、無から有を造りあげる錬金術的野心が、「役者陣は総員しっかり声が出ていて聞きずらさ・躊躇いはまったく」無いことによって説得力を得ており、主人公の画家アルトン・モーム(架空の人物)の絵に、命をふきこんでいた。
幽霊城を探検しようと忍び込む高校生カップル、城が娼館だったころに其処の住人で娼婦のヒモだったアルトン・モームの未発見作品を求めて娼館跡に潜入する美術品の怪盗グループ、娼館城に棲みついた幽霊たちが、全篇にわたってオルフェウスとエウリディーチェのギリシャ伝説と一体になった、アルトン・モームと、その最愛の妻を核(コア)に、スタート時には、色がばらばらに入り乱れたルービックキューブの、色を更にカオスへと追い込いでいき、当初6面体キューブだったのが、12面にも、24面にも膨れあがっていく。
キューブの面がアルトン・モームの絵になって見え、キューブのパーツ一個一個にも絵が描かれているといいたいのは御分かりだろう。
絵そのものへと変容した舞台が、立体パズルの自転力をあしもとからすごい音をたててクライマックスへと追い込んでいく。ギリシャ神話の死神を肉迫する、美術品の怪盗グループがアルトン・モームの知識と画集を駆使し、時間と空間をよりあわせる水先案内人になっていく。


このフィクション世界にたったひとりだけ登場する実在の人物が、時空を旅する「不死の人」、画才に秀でたヴァイオリンとチェンバロの名手で、ベラスケスの絵画の収集家だった錬金術師サン・ジェルマン伯爵だったとは。もちろんワタシも大好きだよ。やっと会えた。

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サン・ジェルマンのおかげで、ドラキュラ伯爵も狼女もフランケンシュタインも魔女も、腐っちゃったりなんかしたりした死体(←腐った死体)も、発声の説得力・演出家への心服・舞台への信頼とは別のリアルさが、超理論的に達成されていた。「超理論的」。これ絶対に重要なんだってば。

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くりかえしになるけど、CAFÉ BIANCO に触れたことを、ただ触れただけで終わらせずに、演劇を楽しむ脳ミソを育てていないことを発見したひとつの道しるべにして、これからもっと、いろいろ舞台をみていくための、強心剤にしていきたい。



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# by lecorsaire | 2018-05-28 12:28

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


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