我れ若し女帝の密使なりせば

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裁かるゝジャンヌ


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デンマーク・サイレント映画黄金期の名匠、カール・ドライエルが、ほかの作品より何オクターブも高い情熱の蕩尽によって産み落とした映画「裁かるゝジャンヌ」を、教会で見てきた。

一片たりとも隙のない透徹な構成力はところどころで、そのきびしさが度を超えて痙攣寸前まで硬直している。・・・・映像リズム感の、野獣的なうつくしさに寸毫もみあわぬ、登場人物すべてのおぞましさ。集団ヒステリーに煽動された、宗教裁判官と兵隊と群集がとりかこむジャンヌは、本物のキ・チ・ガ・イ!
・・・・撮影終了後、役者もスタッフも、みんな実生活復帰に、そうとう苦労したんだろうなぁ。

サイレント版「地獄の黙示録」を、スクリーンの両翼から、スタインウェイのピアノと、金属製加虐器具庫さながらのパーカッションで、伴奏どころか、映像リズムを煽りたてる。名手ルドルフ・マテのカメラワークが、スクリーンからとびはねんばかりに躍動している。
クライマックスの、火刑台のジャンヌに嘆き苦しむ群集場面は両翼からの音楽と、濃絶に対流しあった。
ラスト、「聖女は火あぶりにされた!」群衆がいちどにキレて暴発し、あきらかに”キレるのを待っていた”兵隊たちが群衆をかたっぱしから殺してまわるーートゲ突きの鉄球、投げ槍、双発大砲!(狂っている! このキ印が、しかし芸術なのだ)の乱舞スクリーンの横手から、チェーンソーの火花が、教会礼拝堂の天井画まで噴きあがった。


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写真は、ドイツの画家シビル・リュペールがマルドロールの歌を題材に書いた作品。今回の上映会のあいだ、彼女の絵がいくつもいくつも脳裏をかけめぐった。


みんなすごい満足していた。
「ドライエルが、あの世でよろこんでいる」
「サイレント映画の、この上ない贅沢をあじわった」
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# by lecorsaire | 2006-12-26 14:50 | 映画

12/19 **IMMIGRANT HAUS#4**

先日の、TOKYO DARK CASTLEでねばりつくような艶麗なライブを披露したバンド、LLOYが主催する、クリスマスイベント”IMMIGRANT HAUS#4”に出かけた。

渋谷の東急ハンズそばに掘った、地下への階段をおりると会場のチェルシー・ホテルが一面、ロウソク明かりや石膏像、天井から下がるシャンデリアや白レースで飾りつけられ、外からの空気は完全に遮断された、人工楽園がひろがっていた。
耳をすませばフランス語があちこちからきこえてくる。網タイツに黒のコルセットで飾った白面ブロンド長身のカバーガールさんたちがあるきまわり、バンドのライブが始まるたびに、ステージ左右から張った薄奢な紫のカーテンを、彼女たちが開いていく。

パリから来たdead sexy(ヴォーカルの右腹には”捲土重来”のタトゥーが)、TOKYO DARK CASTLEのリーダーJunet率いるauto-mod(最近はセカンドヴォーカルにカウンターテナーが参加してる!)といったバンドが、強音なくせにしなやかなライブを披露すると、セッティングにひときわ時間をかけて、ステージまで白レースまみれにした、トリをかざるLLOYが、カタラーニの「ワリーのアリア」をBGMに登場した。

まちこがれた観客の、ものすごい数!


一曲目の、放縦な愛にふるえる中東の半神レザミーを歌詞に、スロータッチにうたう女ヴォーカルは、真っ白な両腕と両脚をむきだした裸足すがたをからだの線ごとライトにうかべ、けむり立つ大麻迷宮のようなメロディーをまよいめぐっては、ウィスパーのきいた歌声を、宙かなたまではしらせる。

ライブが進むにつれ、体は素直に曲にのってくる。
還元濃縮されて旋回加速するメロディーが、何十色もギラギラ輝いて沸騰する。ヴォーカルは、恥らうように、あざけるように、英語の歌詞をちりばめて、ものすごいウィスパーをきかせて挑発する。
一曲おわるたびに、フランス語の嬌声が炸裂する。





繊細微妙のわざある手もて、
瑪瑙の、とある文理のなかに、
たずねもとめよ
アポロの神のおん横顔を。

画家は棄て去れ水彩の絵を、
七宝工の陶窒に入れ、
移ろひ易き
色彩をして、固定せしめよ。

描けよ、青き人魚の群の
よろずの態にその尾鰭をば
くねらせしむるを、
また紋章の怪異のむれを、

円三瓣の光背めぐらす
聖母マリヤと御子キリストを、
王権の章、
十字架据ゑし黄金の球を。


(テオフィル・ゴーチエ)

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# by lecorsaire | 2006-12-21 17:04 | 音楽

吉本大輔<エロスとタナトス>


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紅蓮の屹立を闇夜にえがいた東京タワーのそばに、そこだけ中世がとりのこされたように、木造りで異様なたたずまいの、麻布die pratzeが建っていた。
この時、私はまだ吉本大輔とは直接の面識がない。虹色の尾を引いた隕石がおちるように、ある日突然”舞踏ー吉本大輔”マイミク承認がおりてきたのだ。

ディ・プラッツェの入り口に立っていると、ものすごいエネルギーをもてあましているといった、ジャンパー姿の歩みが近づいてくる。吉本さんだ。
「おお、神よ!!!」横をとおりすぎようとしたサラリーマン二人のそばで、絶叫する。

die pratzeのステージは、三、四百年前の鋭角な空気が充満していた。
人と神が、同じ地べたでつながっていた頃の空間。床はギシギシきしむし、外からの車の猛走音はひきもきらぬ。客電がおちると、深淵につつまれた席のスペースで、小さな子がころんで泣きだす。

席スペースとステージの間には、柵などない。公演がはじまると、座ぶとん席にすわった私のすぐ前のステージ床面に、片手のひらが、ずっとはりついてしまった。

公演の最中、それまで自分が費やしてきた時間は華麗に忘却され、現代をこえた現実の中で、オスカー・ワイルドの箴言が血脈をかけめぐった。「存在している事と、生きる事とは違う」

みる者を陶然とさせる、流麗な舞踏ではない。魂に応えておりてきた神にいらだつ肉体のきしみ音の道程のように、裸身いちめんから濃絶なデモンをひきしぼる舞いすがた。
フェリーニの『カサノヴァ』のような悪夢孔雀の衣を裸身にはりつけると、肉体はいらだちの最頂点に達し、どうらんと極彩色が肉体との不連続面を全方向にさらけだして狂乱する。
クライマックス、ひきしぼるデモンはゴールデン・ドロップのようにポタリポタリとした垂れないがその一滴一滴が、旋転して舞いおちる間隔を徐じょにひろげながら、暗黒を燦然とてらす黄金の波紋をステージへ、客席スペースへと大きくおおきくえがく。
肉体は、神との交差面をずたずたにさらして、どんな聖堂よりもうつくしい廃墟へと、昇りつめた。



拍手。圧倒にけおとされた悦びにみちみちて・・・・


「待った。ちょっと待った」拍手は、中断されたのだ。


・・・・ん?何だ??
吉本さんが、ステージのすみに置かれたイスにすわり、ドレスと赤いヒールをつける。

次の瞬間、ステージに、カーニバルなメロディーが炸裂した!

長髪をふりみだし、放縦にはねまわるすがたを、みんなで手拍子でつつみこむ。
ステージも客席もなくなった、麻生ディ・プラッツェのかたちをした「どこか」は、神のにおいを噴き出す人間ばかりがあつまる、法悦境へと昇絶した。



終わったあと、公演に、精力を吸いつくされた。しばらく、まっすぐに歩けなかった。
楽屋をたずねる。吉本さんと、Mixiの壁をこえて、ついに対面がかなった。
「初めまして!」美しい声だ。そしてそれに負けぬ美しい手で、何度も何度も握手をいただく。
この瞬間、ほんとうに幸せだった。
別れのハグをしたら、かおにどうらんがくっついた。
もったいないので、そのまま満員の地下鉄に乗った。
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# by lecorsaire | 2006-12-01 23:09 | 公演

Tristan und Isolde

池袋、東京芸術劇場大ホールにて、新交響楽団創立50周年演奏会、11月12日のマチネで、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』抜粋(演奏会形式)を聴いた。

新交響楽団は1956年に創立されたアマチュアオケで、まだ国交が不安定だったころのソ連への演奏旅行や、ショスタコーヴィチの最も難解な交響曲第四番を日本初演するなど伝説を築いている。
指揮者はバイロイト音楽祭などでワーグナーマエストロの名も不動な飯森泰次郎、イゾルデを歌った緑川まりは5年前に新国立劇場で『サロメ』のタイトルロールを聴いたことがある。

期待とともに、不安もつのった。オペラ『トリスタンとイゾルデ』の、端から端まで絶妙な線のひとすじを描く音楽のながれにカットをいれて、”聴ける”演奏会になるのだろうか・・・・牢人ぽい格好(笑)、ステッキとソフト帽すがたで、会場のロビーをあるきまわった。

第一幕の前奏曲がはじめの数小節を奏でると、聴いているからだが、ただちに高揚しはじめた。
そしてトリスタンとイゾルデが愛の薬を嚥み、二人歌いの芳烈劇がうまれると、指揮者とオケ、歌手と合唱が、ひとすじの流れをつかんでいることを確信した。「これはすごい演奏会を聴きにきたぞ」と、つばをのむ音があしの先までひろがるのを感じた。

第一幕、第二幕を聴き終わったとき、これほど甘美な抜粋版をつくってしまって、切り捨てた箇所が泉下のワーグナーに呪われないだろうか・・・・と心配したくなるほど、酔い深く、罪深い演奏を堪能した。第二幕の、酷愛の二重唱から恋人たちの破局に至る終盤の、やるせもない猛りにはどこまでも目頭があつくなった。

そして最終幕。この前半には、大好きな、トリスタンの長大なテノール独唱があり、今回いちばんの期待どころだった。

が。

残念ながら、ここがかなりカットされていた!!!

あまりにもよい公演でしたので、少しぐらいはウラミをいわせてもらいます。

しかしながら、ここで切られた部分の”恨み”と”毒”は、終盤にむかって、低みから高みへと流れおち、ラストの『イゾルデの愛の死』の、胸がつぶれるような高揚感、臨死体験の眼前にひろがる花園さながらの、濃潤な虹色がうずをうねらせ、聴いているからだをつつみこんだ。もう耳だけでは聴けない、指先で、臍の底で、のどの神経網で、消えゆく音楽を、一滴残らず吸い上げる貪婪さで、『トリスタンとイゾルデ』新交響楽団演奏会に肉迫しきった。


全幕、椅子にすわっているのがもどかしいくらい・・・・曲にあわせておどりたくなった!演奏者全員の活気と熱力が、耳を無視して腹から全身にほとばしり、一幕おわるごとに、汗ばんだ両手を洗いに行かねばならないほどだった。

久しぶりに、「このよろこびが永遠に続いてほしい!」と嘆願したくなる公演でした。いまも余韻がさんさんと胸をうちつづけます。『トリスタンとイゾルデ』は、しばらくCDとかで他の演奏がききたくない気持ちです。

公演終了後、チケット取り寄せでお世話になりました、楽団員の、mixiネーム・ヒロさんのお導きで打ち上げに混ぜていただき、指揮者の飯森さんやソリストの方々などのスピーチを拝聴し、『トリスタンとイゾルデ』以上の世界(?)をアルコール片手にたわむれました。
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# by lecorsaire | 2006-11-13 18:38 | 音楽

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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