我れ若し女帝の密使なりせば

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大正時代のサイレント映画『魔女(Häxan)』

この文は、去る2007年12月25日(火)に開催された、
☆☆Silent Cinema Night at Church vol.2
☆☆☆聖なる夜の上映会☆☆☆ をmixiで宣伝
した際にわたしが書いた宣伝文である。



クリスマスの夜、伝統ある教会でサイレント映画『魔女(Häxan)』を音楽伴奏付きで上映します。
『裁かるるジャンヌ』を撮った鬼才カール・ドライヤーの師、ベンヤミン・クリステンセン監督の最高傑作です。

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image source: The Phantom Blogger

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映画『魔女』は伝説的に奇っ怪不気味で、人々とオカルトサイエンスについて、神話と確信の歴史を例証するに七つの章を用いている。アニメーション、特殊効果、悪夢にみちたセット、冒瀆的な儀式の再現を駆使し(当時の映画では考えられない、天文学的巨額だった)、中世絵巻をとびこえるリアリズム・悪徳物語が展開される。その中心で悪魔を演じるのは監督のベンヤミン・クリステンセン自身のメーキャップ出演である。ちなみにクリステンセンは映画監督になる以前に、グノーの歌劇『ファウスト』で悪魔メフィストフェレスを演じた声学家であった。

クリステンセンは誕生して間もない映画が、ダヌンツィオばりのロマンス活劇ばかり扱った劇場演劇の延長か模倣であることを脱し、より実験的で学術考察性、刺激あふれる教条にみちた映画の可能性を追い、迷信に関する映画の、構想としては三部作の第一部に映画『魔女』を企画した。
クリステンセンは、オカルトについての大量な図像、映像を、観客への講演として提示する。
「魔王は、中世や暗黒時代においては日常の片鱗にうごめいていたが、彼は今日なおも我々のそばにいる」監督のベンヤミン・クリステンセンは、前述の悪魔扮装とはべつに彼自身の素顔と現代装束で登場し、観客に語る。「"死せる中世"などという妄言を信じてはいけない。新しい服を着替えるためだけに、ひとはわざわざ死んだりするだろうか?」

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ストーリーの根幹は、現実と神話を、十五世紀ヨーロッパに投げ込む。ドイツの表現主義に匹敵する、エネルギーにあふれ大胆不敵な場面が横溢する。死体泥棒や魔女たちの物慾、心地よい堕落の夢をみせる悪魔は金貨の雨を降らせて恍惚となる。魔女は悪霊と交わり、十字架に痰と唾を吐きつけて、踏みつぶして、ヒキガエルと死んだ赤ん坊から醸造酒を偽造する。
異端審問官による魔女裁判は綿密な時代考証によってまさしく当時の典型例が描写される。さまざまな拷問道具のリアルな再現。クリステンセンは、クローズアップを巧みな使用によって、拷問のむごたらしさが暗黒歴史への、観る者の開眼をうながす意図をこめている。

ストーリーを構成する、時間年月の変転と、悪徳美に染まったスチール写真には、効果的で革新的な技術へのクリステンセンの野心がこもっている。
彼は『魔女』の成功を信じて疑わなかった。

この映画は既に柳下美恵さんのすばらしい伴奏で、極上画質の、国内DVDが発売されておりますが(DVD特典の、小松弘氏と大塚真琴氏による解説は名文である)、上映機会が極めて少ないこの映画が、今回はフィルムで上映されることによって、濃厚な中世の香りがいっそう引きたつと存じます。
これを観れば、ゆく年も来る年も、もう怖くありません。

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☆☆Silent Cinema Night at Church vol.2
☆☆☆聖なる夜の上映会☆☆☆


雷上映作品:『魔女』Häxan雷  
1921年/スウェーデン/モノクロ/約90分 /日本語字幕付/8ミリフィルム
監督・主演:ベンヤミン・クリステンセン

こんかいはゲスト奏者に、中世やルネサンス音楽に造詣が深く、自ら楽器製作も手がける近藤治夫氏をお迎えいたします。


2007年12月25日(火)19:00開映(18:30開場)

出演 
近藤治夫(kondo haruo):古楽器 
柳下美恵(yanashita mie):鍵盤楽器

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会場http://www9.ocn.ne.jp/~hongo189/
日本キリスト教団 本郷中央教会 東京都文京区本郷3-37-9 電話03-3811-3500
1)都営大江戸線、営団丸ノ内線ともに「本郷三丁目駅」下車。本郷三丁目駅交差点から春日通りを湯島方面に右側を歩き1分。
2)営団千代田線「湯島駅」下車。春日通り本郷方面に徒歩7分。
**本郷消防署の斜め向かいの、ゴシック様式の白い教会**
※駐車場はございませんのでお車でのお越しはご遠慮願います
暖かい格好で お越し下さい


料金2000円(250席までご用意しております。ご予約なしでご覧になれます) 











そして、当日の上映会の感想が、
これだ. 

HAXAN! (映画『魔女』1921年)
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by lecorsaire | 2014-12-11 16:31 | 映画

イゴ・スム 或る俳優のアグリービューティーな生涯

2014年に「フィルムアルヒーフ・オーストリアの無声映画コレクション」(於フィルムセンター 11月11日~16日)でも上映された映画『カフェ・エレクトリック』にイゴ・スムは娼婦に惚れられるエンジニアの役で出演した。


イゴ・スム(Igo Sym 1896 -1941)  ポーランド系オーストリア人俳優。オーストリア=ハンガリー帝国時代のインスブリックにうまれる。
第一次世界大戦ではハプスブルグ帝国の中尉になり、のちにポーランド軍でも中尉として勤務。
1925年に映画デビューし、ポーランド、オーストリア、ドイツのサイレント映画で、上品な紳士や貴族、陸軍士官の役を演じる。1927年に、マレーネ・ディートリッヒの主役映画『カフェ・エレクトリック』に出演した。1930年代の初めにイゴ・スムはポーランドに戻り、ワルシャワに定住した。ワルシャワでは活動を、映画から、劇場での舞台に転向し、歌やダンス、のこぎり楽器の演奏までおこなった。

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source: Śmierć zdrajcy

※このブログで書かれているイゴ・スムの生涯はwikipediaの英語版から全面的に引き写したものである事を、あらかじめおことわりしておく。



イゴ・スムは、ポーランドに定住したあとも、ドイツ贔屓で有名だった。

youtube: IGO SYM in Poland - Beautiful and Damned !  
(映画Im Kampf mit der Unterwelt (1930) の挿入歌、コンチネンタルタンゴ Ich träum' vom ersten Kuß.  ドイツ語の美声を披露。 )

1939年に、ポーランドはナチに占領される。イゴ・スムは総督府の後ろ盾を受け、ワルシャワの主要劇場の監督職を兼任すると同時に、ゲシュタポのために多大な協力を行なう。
イゴ・スムはポーランド映画界および劇壇を掌握する野心にかられていたふしがある。彼とゲシュタポとの関わりは1939年9月1日のポーランド侵攻以前に遡るものだったらしい。サイレント映画時代からイゴ・スムと共演していたハンカ・オルドヌヴナは、イゴ・スムが助力したゲシュタポの罠にかかり、逮捕されている。




1941年10月10日、映画『帰郷』がベルリンの映画館「ウーファー・パラスト・アム・ツォー」で上映された。監督は『カフェ・エレクトリック』のグスタフ・ウチッキー。
イゴ・スムは映画には出演していないが、その制作にあたって活発に協力する。ポーランド人を侮辱する内容のナチの国策映画で、幾人ものポーランド名優たちが出演を拒否した。
イゴ・スムの傘下にあったワルシャワの「テアトル・コメディア」の俳優たちは、ゲシュタポのエージェントの俳優イゴ・スムを反対にスパイするようになる。彼の動向は、レジスタンスに密告された。



1941年3月7日、ワルシャワのマゾヴィエツカ通り10番街にあるイゴ・スムの住居のドアに、2人の暗殺者が、電報の配達夫に扮して訪れた。この翌日にイゴ・スムはウィーンに向かう予定だった。
ドアが開き、現れたのが、間違いなく標的であると確認した暗殺者たちは、自動拳銃ラドムVISで、ナチの協力者の息の根をとめた。
「テアトル・コメディア」の俳優Roman Niewiarowicz はハンカ・オルドヌヴナの逮捕の裏にイゴ・スムの暗躍をかぎつけて以来、イゴ・スムへの復讐心をかきたてていた。暗殺の日取りも、彼の密告が決め手になった。
レジスタンスは当初イゴ・スムを毒殺するつもりだったが、より即効的な銃撃に変更された。
イゴ・スムの弟のエルンストは化学者で、ポーランドが占領されるとレジスタンスに参加し、破壊活動で使う爆薬を密造した。


イゴ・スムの死は、総督府によって翌日には街頭のスピーカーで伝えられ、午后8時から午前5時までの夜間外出禁止令が出されると、ワルシャワ地区行政長官ルードウィヒ・フィッシャーは、イゴ・スム殺害の実行犯、ならびにその協力者全員の自首を脅迫するポスターを貼りだした。
すべての劇場は閉鎖され、120人が人質として逮捕された。フィッシャーは、イゴ・スムの殺害者が3日以内に自首して出ない場合、大学教授・医者・弁護士そして俳優を含めた人質全員を殺害すると脅した。

3月11日に、人質のうち、21人が、ワルシャワ郊外の村パルミリで、処刑された。




イゴ・スムの暗殺に対する報復措置が、後の「AB行動」として本格化されるポーランド人大量殺害の火付け役のひとつになった可能性がある。
ステファン・ヤラチレオン・デ・シルデンフェルド・シレルを含む人質の残りは、アウシュヴィッツへと送られた。
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by lecorsaire | 2014-12-03 13:14 | 映画

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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