我れ若し女帝の密使なりせば

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百年時計

『次の公演のタイトルは・・・『百年時計』」その瞬間、絶対見ようと念じていた。高橋理通子さんは、公演にさきだつ『花狂ひ』で、エロスの巨塊をそびやかす桜を妖艶にねじふせる舞踏で、俺の神経を束ごとふきとばし、うごかない柱時計を両腕に抱きしめていたのだ。
柱時計に、吸いこまれてあのなかにはいりたい、なかにもぐりこんで、うごかないはずのじかんの、無垢なまでの淫蕩さをとけいごとうごかしてやりたいと猛念をかきたてた。


開演すると"Bercear d'space(天空揺籃)城 "、東生田の館は、漆黒に凍りついた時間の波でおおいつくされ、入りこんだものを惑わす心地にみちた、時計のなかだった。
俺は今、オルフェよりもスフィンクスよりも会うことを願い続けた時計のなかにいる、いるんだ! 深淵な緊張にもみほぐされてとまらない。

舞踏空間が、漆黒ごと鳴動する。ひびきわたる時限針のおとは、舞踏の呼吸として反響するのだ。今回俺はこの呼吸に、身を浸し過ぎて舞踏に囚われた。何度となく、りょうあしが立ち上がって一緒に踊りだそうとするのを両腕でとめてみせた。トンマな姿としか言いようがない! まるで、放射能の微量におびえるあまり軍隊用の防毒面を何重にもかぶった愚か者が、熟れた時間の城に充ちた毒の花を、失神手前まで近寄って、肉厚な襞の一枚いちまいに恍惚となっているようだった。
舞踏は流麗なすがたなど一片もない、きれいにつくりすぎる卑しさをかたっぱしから砕く、さながら巌・・・岩の塊まりが館の天井を喰いやぶって、ステージに落ちてくるのをみるようではないか。音楽はレコードの針の音にしかきこえない位ほどで、からだじゅう、心臓の下にひろがるはらわた、両腕の中のはらわた、両眼、両鼻、両ひざ、両キンタマ、両手両足の総ての爪の底のすべてのはらわたに、何百倍の大きさの岩石が、見る者を死に至らしめるほど美しい女像をレリーフ(脳の皺がすさまじい浮き彫りを踊る)をうかべて、時計の針だけが冷厳に轟く、タナトス・・・石の表面が宇宙の匂いに覆われた荘厳な石墓地を、死都の城塞、陶酔のピラミッドをつみあげた。




そして今回の公演において、もうひとつ大事な事を書いておく。宣伝美術:高淳嘉さんがデザインした公演のチラシのイラストとともに公演の当日を指折り数え、当日はイラストにも身を浸しながら、舞踏と一体になることができたのだ。


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舞踏空間の最中だが、「幽霊時計」と、つぶやく声がきこえた。客席のだれかが云ったのか、俺の体内のはらわたのいずれかから昇ってきた声なのか。
ステージの中心にむかって織りあげた舞像は
館が建って、百年たつとすみつくという幽霊なのだろうか。
館の少女は、
時計造りで爵財を成した家庭に育ち時計を知り尽くした絵師の手で、
時計じかけ人形のかおをえがく面相筆の滴りに吸いとられる。
あざわらうような、悦ぶような喚声。
時計の泡たまごでできた額縁に嵌められた肉体と、
キャンバスに乱舞する絵筆との交錯するにらみあい、からみあい。
肉体じゅうの神経と、
筆の毛ひとすじひとすじの先端に、
脂粉の甘き縹渺が灯る、
時限爆発の火薬のかがやきとともに。


「今度こそ本当に死ぬと思いました」公演が終わり、俺の言葉にみんな、呆れて笑っている。

ラストでステージ(客席と同じ高さの地面で水平につながっている)、
ステージの奥で鎖につながれた
まるで荘厳な時計の畸形獣であるような自転車を、
ステージまんなかに連れてきて、
ストッパーをかけると騎り、すごい目で・・・・
百年後の爆発をセットした時限爆弾のメーターを顔面にふたつ輝かせて、漕ぎはじめた!
十年、二十年、三十、六十、八十・・・百年目がけて疾走するふたつの車輪が
分針と秒針を猛回転し、
からくりの鐘の王女ごと総てをのみつくす不吉な円周をひろげ、
自転車の目の前の客席には、俺が座っていた!!!
いちばん危険そうな場所を独り占めしたら、
ほんとうに一番の危険が待っていた!
ストッパーが吹き飛んだら、お客がみんな逃げるあいだに
(お客さんの中に、岡本太郎美術館の館長さんがいた)
俺は時間を永久停止していたはずだ。 







おまけ:
公演まえに、東生田の興福寺の山道を歩こうと思ったら閉まってて・・鐘のそばに猫が一匹いたので行ったら、もう一匹現れ、もう一匹でてきて、さらにもう一匹あるいてきて、さらにまたもう一匹・・・多くないか?「ここ猫たくさんいるよ」おばちゃん登場。
おばちゃん「ここノラ猫が十二匹いるの。エサ代大変よ。昔はニ十匹いたんだから」
くろねこが一匹寄ってくる。「その子ひとなつっこいの。でもしがみついたら離れないわよ」・・・退散し、東生田会館へ。
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by lecorsaire | 2011-06-15 11:12 | 公演

「死すら大笑いする時がある!!」 

あの幸せが、まだまだずーーっと続いて欲しいくらい、今夜みた『天空揺籃』は強烈だった。
しかし、今回みたのが、あれが舞踏だったのか、遊びだったのか、美しき災い、あるいは諍いなのか、蝮のまぐわいだったのか淫蕩だったのか奇跡の罠だったのか、よくわからない。

理通子さんは、今週の金曜から3日間、ソロ公演を東生田で踊る。・・・マゾッホの女怪物語に登場しそうな公爵夫人が、下腹のなかに隠した淫蕩絵巻の叫喚に身をゆだねる。いっそ飛び掛かって、八つ裂きにでもされれば良かったのかも知れない。慶さんは半神半獣の不連続面が、地割れと地底からのマグマ噴出みたいに眩しい・・・・・かぶっていた帽子で蝶のように、捕獲されたくなった。



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新宿JAMに行くまえに、ブリューゲルの『死の勝利』を眺めていたのだが、観にいくと、じぶんの腹の底が、毒を投げ込まれた井戸の水をどんどんと、油絵具いろに変えていった。
『死の勝利』がハコのなかに出現したというよりも、絵の中に、自分たちが閉じ込められてしまった。絵のなかにいた。あちこちの場面の殺戮、交霊、ヴァニタス、桁外れの笑い、希求を、『天空揺籃』はハコの中にちぢめて濃縮してしまったのだ。
いわば水画面のそれまでを、客もろとも強烈なアブラ絵の具で捕らえ、客ひとりひとりの視線の足元を油でぬらし、たえず踊っていないとすべって転倒死する「舞踏病」にしてしまう。
視線の中心にも端すみずみにも、吉本大輔がローマ法王になった子を産み落とした娼婦の媚態のように舞う。

あまりの美しさに、何度も失神しそうになった。あのまま死んでも良かったくらいだった。



床に脱ぎ捨てられたヒールの片っぽを、盗んで帰りたくなった
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by lecorsaire | 2011-06-08 01:06 | 公演

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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