我れ若し女帝の密使なりせば

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ゴジラのテーマ 

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池袋、東京芸術劇場大ホールで、新交響楽団第196回演奏会を聴いてきました(2007年2月4日(日))。


前回11月12日は、一世一代の大盤振る舞い、コンサート様式の『トリスタンとイゾルデ』をやったので、ワーグナーを浴びるが如く堪能したのだが”新響”そのもののエレメントは聴きそびれた気がした。
今回は、その辺をたのしみに聴くことにした。

曲目 ボロディン/歌劇「イーゴリ公」序曲
   コダーイ/組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
   伊福部昭/「シンフォニア・タプカーラ」
<伊福部昭 没後1年追悼演奏>
指揮 井崎正浩

一曲目の、ロシアの作曲家ボロディン(写真1)の「イーゴリ公」序曲。
いやはや、うなりとうねりが地軸をふるわす、ロシア建国叙事詩の英雄譚を、ヴィジュアル感たっぷりの堂々たる語り口を、熱演してくれました!
足元から、わらわらと熱気が上がってくる。やっぱり、これは聴きにきてよかったと感銘にうたれた。

ハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルダン(写真2)の組曲「ハーリ・ヤーノシュ」は、今回いちばん楽しみにしていた。ライブで聴いた誰もが「すごくいい!」と絶賛するこの曲、ナポレオン軍をたったひとりで負かした大ボラをふく(ぷおー)ハーリ・ヤーノシュが主人公の、英雄譚のオチョクリばなし。指揮台の横にはハンガリーの民族楽器のツィンバロンが賭博台のように置かれる。「イーゴリ公」序曲をこえるヴィジュアル感あふれるオーケストラ術はさえわたり、ツィンバロンの土俗臭につつまれて、駄法螺ばなしも説得力充分。

じつは十?年まえにFMで聴いたときは、まるでピンとこなかった「ハーリ・ヤーノシュ」。
映画をテレヴィ画面でみるより劇場でみた方がずっといいのと同じ感覚で、ハンガリーの映画を、無字幕でことばもわからずに見てそのリズムに感激したような歯ごたえだった。
マエストロ井崎の、右胸からのぞく真っ赤なチーフが確信犯的にワザとらしく、・・・・指揮者の、後ろ向きとそのポーズが、すごくウサンくさくみえてしまう公演だった。
怒涛の拍手がわきおこり、そのいきおいにのまれて自分も手をたたいているのが、まるで詐欺師の鮮やかさに面食らった心持・・・・・。


今回の公演は、伊福部昭(写真3)の曲をラストにして、作曲家の一周忌を表する志向であるが、アジアの同胞たちへの敬意といった側面も見えた。ヨーロッパとアジアの中間に立つロシア人と、姓+名のフルネーム表示のハンガリー人。そして伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」は、アイヌの”足を踏みしめる動作の立ち踊り”タプカーラに敬意をあらわしている。
この曲は、新響が何度もとりくんでいる入魂の一曲だけに、その熱演は、今回いちばんの聴きものを結晶させてくれた。
三楽章(終楽章)のクライマックス、最高音域でピッコロ二台が超絶技巧を爆走させる、アイヌ祭りが憑かれたように踊りに没頭する曲想が大ホールにひろがると、客席じゅうの新響ファン全員の「これだ!これが新響の醍醐味だ!」という快心がたちこめてきて、もう体中がやみくもな上昇血流に熱してくる。むかしFMで、新響がベルリン芸術週間で石井真木の大曲を公演したときの放送をきいて手に汗にぎった感触が、あれはやっぱり錯覚なんかじゃなかったんだと、今回のライブ体験で実感できた。

大ホール全体をうめつくす、カタストロフぎりぎりのカタルシスの拍手万雷。



そして、
何度目かのカーテンコールのあと、
楽団メンバー数人が加わり、
マエストロ井崎が、紺色のチーフを胸に、アンコール用の総譜片手に登場。

始まった。日記のタイトルにあげた、
名曲中の名曲・・・・


日本海とならんで、東京湾を映画写りの良さへと磨きあげた音楽(正式な名前は「SF交響ファンタジー」という名前)。ラヴェルのピアノ協奏曲がきこえてくる有名なフレーズはご愛嬌だが、アンコールで聴くと、めっぽういい。

「:*/$@'|baI\&o!!!!」大ホールに、轟く咆哮!
ステージ右から、総重量六十キロといわれる、小山のような着ぐるみが、しっぽをひいて登場した。おお、背びれも光ってる!口からの光線放射が、虹の半円をえがいてステージを、
新響全奏のりんかくをぶあつくつつみこんだ。
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by lecorsaire | 2007-02-05 18:52 | 音楽

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


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