我れ若し女帝の密使なりせば

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谷崎潤一郎『天鵞絨の夢』:朗読を披露(2017.11.25)



人生に安楽椅子などない。
天鵞絨張りの監獄椅子があるだけだ。



坂本葵さんが主催するイベント「谷崎潤一郎びより」で、谷崎の妖美小説『天鵞絨の夢』の朗読を頼まれたのは2017年の7月の終わりごろ。稽古をはじめたころの暑さを覚えている。

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私はこれまでに同人誌で小説やエッセイを書いてきて、いまでは参加したいと思う同人もなく一匹狼をつづけている。
小説とはべつに、舞台劇や朗読詩を書いて、都内で披露してもらったこともある。
しかし、まさか自分が朗読を(それも自作などではなく、谷崎潤一郎の小説!)披露する側に立つとは夢にも思わなかった。



『天鵞絨の夢』の朗読は本邦初の試みで(つまり私が朗読者第一号)、発端(←導入)、「第一の奴隷の告白」「第ニの奴隷の告白」「第三の奴隷の告白」終幕にわたる流れから、「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」だけを抜き出し、一時間以上90分未満をかけて朗読をおこなった。中国を舞台に、得体のしれない大金持ちやその妾が奢侈悦楽におぼれるその周囲に侍った、美少年や美少女の奴隷たちの告白が谷崎の美文でドラマチックに語り尽くされる。
もし全篇を朗読するとしたら、「第一の奴隷の告白(美少年)」「第ニの奴隷の告白(美少女)」「第三の奴隷の告白(ヴァイオリン弾きのユダヤ人美女)」をそれぞれひとつずつ朗読者を変えてみてはどうだろうか。発端と終幕の朗読者を狂言回しにして、朗読者がチェンジする度に場面展開を差配する。なかなか豪華な朗読劇になりそうだ。
今回の朗読では「第一の奴隷の告白」と「第ニの奴隷の告白」とのあいだに、場面転換の寸劇をやった。



得たものは大きかったけど、苦労の連続。
なかでも一番きつかったのが、本番の延期。
本番も、10月22日の予定だったのに、まさかの風邪。

公演が11月25日(奇しくも谷崎を敬愛して止まなかった三島由紀夫の憂国忌)に伸びた、その月のはじめに栃木へ行き、
私が作詞した音楽「死のゆび」が歌われる『贋作マッチ売りの少女』栃木公演を観て
http://lecorsaire.exblog.jp/26089033/
舞台でのパワァを、涙ボロボロながして存分にいただいたので、『天鵞絨の夢』の要所にふりわけた。





「静かだ・・・」

女王は卓上の、
『天鵞絨の夢』に勝るとも劣らぬ奢り極まる装幀を施した、
『舊新約聖書』を手にとる。

”第七(だいしち)の封印を解き給(たま)ひたれば、
凡(おほよ)そ半時(はんとき)のあひだ
天靜(てんしづか)なりき" 
ヨハネの默示錄 第八章


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25日の朗読では、気負いもなく、こころもちも静かに、『天鵞絨の夢』の文面を、ほとんど自分の手足のように自在にあやつることができた。
当日は朝の10時ごろからテンションがあがっていて、
まずは自宅で、むしろ気持ちを静めるために朗読台本を読む。
そのあとで庭で生ってる獅子ゆずの大物をひとつ、葉っぱごと切りおとした。

正午ごろには吉祥寺で、「死のゆび」が初演されたライブハウス「吉祥寺曼荼羅」そばのアンティークな喫茶店「ゆりあぺむぺる」のスパゲティで昼食し、そのあとで井の頭公園へ移動。3時まえまで「第二の奴隷の告白」を中心に台本を読む。そして時はせまり、会場の「猫々文庫」が建つ、西永福へ。
会場へ行く前に、駅前の小さい広場で『死のゆび』を聴き、
天鵞絨張りの、阿片窟の夢見心地の実感をつかんでいた。


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ガッツ石松が、ボクシングに出遭ったことで、人生が360度変化したという話が胸にせまる。
180度ではない、断じて180度ではない。360度だ。



今年からはまた、書くほうの試練がつづく。









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# by lecorsaire | 2018-01-01 13:49

私はどのようにして「死のゆび」を作詞したか

今回のブログは、2017年12月18日に私が発した以下のツイートに対応する形で書きました。
https://twitter.com/guardia_nobile/status/942762972371230721




永井幽蘭さんから、あたらしい曲の作詞を依頼されたのが2015年の5月ごろでした。
小説を中心にこれまで書いてきた、文藝の筆を、舞台劇の脚本や朗読詩などにおよぼす度に、
思いもかけない悪戦苦闘への直面をくりかえしてまいりましたが、
今回もやはり同じで、作詞の苦行が、これほどのものなのかと思い知る事になりました。


「死のゆび」を書き始めたときに、私の念頭にあったのは 『たそがれの寝室』 という、日夏耿之介が書いた耽美的な物語詩でした。
『たそがれの寝室』 は、日夏耿之介がもっとも名をしらしめたエドガー・ポオの長篇詩『大鴉』の翻訳などといったゴシック奇譚の論客として名をなす以前に、 同人誌 『假面』 で発表した初めての詩作で、『大鴉』の、城砦窓から視線をなげかけるような鬱屈さよりも、ずっと感覚的な、淫靡にせまるほどの官能と耽美を、薔薇窓にほおずりするがごとく追い求め、イタリアの耽美詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオを 「官能の理想主義者」 として仰いだ若き日夏の詩の筆が 「視覚と聴覚の錯綜美」 の一歩をしるし、シアトリカルな絢爛さと、黙示録じみた性的虐殺、けだるい狂恋が渦を巻く、日本人が書いた最もみだらでみやびな詩になりおおせています。 
「死のゆび」 に、淫靡さがみなぎる箱庭かドールハウスの沈鬱な豪華さをふうじこめることができるとしたら、日夏か、そしてダンヌンツィオの詩の仮面を借りてこなければなりませんでした。
もちろん、借りてきたというか、盗んできた仮面はこれだけではありません。アリババの宝物洞窟からひっぱりだしてきたのは、永井荷風の訳詩集 『珊瑚集』、日夏の弟子の仏文学者・斎藤磯雄が翻訳した豪華な訳詩のかずかず。
歌人・塚本邦雄の第五歌集 『緑色研究』 を繙く時には、おおいに渇を癒されました。塚本は甘美さをあらわすのに 「苦い」 という反対語を使う事で甘さを増大させる効果をねらいました。「死のゆび」 のなかで”媚薬は苦く”とあるのは、たぶん『緑色研究』収録の、<ワルキューレにがき油のごとく滿ち馬はその鬣より死せり>がひらめいた折に筆が勢いよく走ったのかも知れません。
当然ながらこの時点で既に私は、創作苦の渦のなかで七転八倒しておりました。



ですが、まだこの時点で私が書いていたのは「ただの詩」で、
音楽にのって歌われる「歌詞」にはなっていなかったのです。


ここで一旦、筆がとまってしまったんです。
「さあいったいどうやって、詩のしっぽに火をつけようか」
歌詞を書き上げるという創作苦の、本当の苦しみがのしかかってきたんです。


おそらく、この時の苦しみの半分かそれ以上は、 「意地」 でした。恥かしいものです。その意地が、さらなる苦しみを生み、そうしてさらなる意地が湧いて出ての繰り返しに苛まされるようになったわけです。幽蘭さんが作詞を依頼してくれたことを最初は念頭に置いていたのにそれをだんだんと脇に追いやって(幽蘭さんすみません)、デカダンの詩歌や、淫靡や媚薬などとはおよそ対極をなす最も遠いところにいる何ものかに出遭えば、その遠さが逆に起爆剤や、発火力をさずけてくれるはずだと信じるようになり、そのあげくに出会ったのが、寺山修司が作詞した 「あしたのジョー」 のテーマだったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=lHgKu5o0xEg


「これだ!!!!」点と点が、一本の線になって繋がる暴虐的な勢いが理想的爆発力の導火線になってひらめきました。
寺山修司は天才だ。異形の造形力に溜息しか出ない。
やはり一番の歌詞が、壮絶さでとびぬけている。
歌手の美童イサオは、・・・・(ごめんなさいボケさせていただきます)
「だけど~~♪」の次にくる歌詞を忘れてしまい(!)、「ルルルル~♪、ルルル~ルル~ルルル~♪」で歌い通してしまった。
一行ごとに、尋常じゃないエネルギーがこもっていて、
一行ごとに、燃焼しなければ歌えない。
これほどの歌詞に、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか。




タイトルの 「死のゆび」 は、「あしたのジョー」 をyoutubeで流しながら歌詞を練っていくうちに、自然とうまれてきたのだと思います。


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いうまでもなく、この時点での執筆がもっとも苛烈をきわめました。
なんで歌詞って、こんなに短くしなきゃいけないんだろう?などと、未曽有の根源論に喧嘩を売るような怒りをこみあげながら、毎晩のように、未完成の歌詞を書き途中のノートを閉じるたびに、溜息をもらし続けました。
書き上げた歌詞をお送りするときに、「もうこれ以上書けません」なんて言った記憶がある。



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こういう歌詞に、作曲をして、はじめてとりくまなければいけない歌手の心情とは、どれほどのものだったのだろうか?




※「死のゆび」が初披露された2015年7月17日のライブ
http://lecorsaire.exblog.jp/21957947/








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# by lecorsaire | 2017-12-26 17:38 | 公演

「贋作マッチ売りの少女」 東京公演<漆黒>(17日)、あるいは<白夜>(14日)との交差点



「贋作マッチ売りの少女」 東京公演<白夜>(14日)に続き、
http://lecorsaire.exblog.jp/26236229/


17日は東京公演<漆黒>を観た。配役を<白夜>から完全に入れ替えた<漆黒>は栃木公演で観た演者ばかりで構成され、東京公演ではあっても、栃木公演の続きが夢の尾っぽを引いて、冷たく、そして熱っぽく、のた打ち回っている。





”情熱の画家” 贋作家ヴァン・ゴッホ: 
町田彩香(栃木公演では”人食い”ソニー・ビーン)

”切り裂き”ポール・ゴーギャン またの名をポール・ザ・リッパー: 
恩田純也(栃木公演では霊薬の精製法を知る男 修道士デストレ)

”劇作家演出家俳優でもあり絵描きと肩書きだらけ” 狂人アントナン・アルトー: 
野坂亜沙美(栃木公演では”錬金術師”エリファス)

”サナトリウム医院長”医師レイ: 
小堀佳恵(栃木公演では”世話焼き娼婦”アニー)

”ヴァン・ゴッホの義弟”画商ジオ: 
Cacao(栃木公演では”サナトリウムの長”医師レイ)

”霧の都の怪人??? 看護師??? ジャック・ファントム: 
菊池晴美(栃木公演では”じゃじゃ馬娼婦”キャサリン)

”看護師”シャーロック: 
丸井裕也(栃木公演では”麻薬中毒”シャーロック)




<漆黒>と、そして<白夜>をみてわかった、栃木公演と東京公演の決定的な違いは・・・・・
まず第一に、<白夜>と<漆黒>それぞれで ”ジオ様” が降臨した事。
兄ゴッホに、愛憎をむきだしでぎらつかせ、幻想都市ロンドンの欲望を贋作でみたす<白夜>コイズミショウタ”ジオ様”と、<漆黒>Cacao”ジオ様”が、黒衣で闊歩する。
twitterでは狂喜乱舞が毎回TLに押し寄せた。



全篇の舞台が精神病院の隔離病棟なのは<白夜>と同じで、舞台のながれも<白夜>と同じ。
しかしながら・・・・・
<白夜>14日公演が、精神医院の最上階20階から最下層B10くらいを部屋ごとエレベーターにして上がったり下がったりを繰り返してたとするなら(そうなんです、<白夜>の常盤ジャック・ファントムが声色をくるくる変化させるのを見ているうちにエレベーターガールを想像せずにいられなかったOMG)、
<漆黒>は、ロンドン塔が現役の監獄要塞だったころの地下牢が地下にいすわったまま動こうとせず、栓をぬかずに300年くらいたまったままの黒い空気を、マッチの炎のまわりに巻き付けていた。



<漆黒>のファーストシーン、本当に怖かった。地下特有のテンションの昂ぶりがダイレクトにせまってきたのか、心拍数が上ったというか、動悸が高まってきて、ええっ、もしかして観ている最中にオレひっくりかえったらどうしよう??? と冗談ではなく本気で心配になった。
切り裂きジャック以上にぶっそうなシャーロック、医院長レイ(サナトリウムに患者として入ったらある日叛乱をおこして病院を乗っ取り、頭のキレ味自慢をギロチン博士と張り合いたがっている)、そして医院の看護師でロンドンの悪霊ジャック・ファントムがブラックジャック(黒革の棍棒)をふりまわして、黒いボールギャグ(口枷)を嵌められたポール・ゴーギャンを威嚇する。栃木公演を噛みしめた歯並びが、<漆黒>の、<白夜>の時に匹敵する熱気もろともブラックジャックの殴打をくらい、歯並びがぶち折られて、あらわになった神経に金属のメスをさしこむとグリグリっとひっかきまわす。
メスの柄には、源氏名をかかげて娼館で客をとるローマ皇帝の妃アグリッピナ、メッサリーナ、ポッペアの横顔が刻まれている。



精神医院を劇場にかえる小堀レイ、菊池ジャック、そして丸井シャーロックのオネエ声が、東京公演に”幻想音楽劇の幻想”を出現させる。
東京公演と栃木公演との決定的違いは第二に、
栃木公演が、中心がどこにも無い、或は中心が至る所にある幻想絵画なら、
東京公演は、ロンドンの中心がたったひとつに固定され、まん真ん中から芝居と、歌のまぼろしがとめどなくあふれかえる幻想オペラだ。
栃木公演で観た娼館の娼婦3人がふたたび現れ、さらにジャックの幻術に呼ばれて・・・・・栃木で観た、娼館長フランシスが!





「マッチはいりませんかぁ」
マッチ売りの少女アルルを栃木と東京(白夜)で、
大島朋恵{マッチ売りの少女/アルトー}から 
野坂亜沙美{アルトー/マッチ売りの少女}へ受け渡されるのを目撃した瞬間、『贋作マッチ売りの少女」の錯綜する進行が歯ぐるま仕掛けを回転させる。
錬金術師(演出家)で絶対的中心:第五元素の探求者(劇作家)が、
町田ヴァン・ゴッホと、恩田ポール・ゴーギャンとともに「死のゆび」のダンスを踊る場面が、<白夜>14日のそれと肉迫する。
クライマックスで、アルトーがセリフを早口で次々に唱えると、
『贋作マッチ売りの少女』のポスターを描きあげる(画家)幻像をむすび、マッチをつまんだ手が、「Hand of Glory 栄光の手」だということを確信できた。 




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「?」

 ??????・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと待て。

このブログ、書き始めからずっーーと、舞台を観た感想じゃなくて、
言語化された「印象」しか伝えていないぞ。

まあいいか。
感想は、もう大勢の方々が、いい文を書いてくださってるわけだし、これからも書いたり伝わったりするだろうから。



麻薬中毒探偵シャーロックが、アルトーから黒光りする麻薬を地下経由で入手する(だんだんと居直って来たぞ)。
目的のためなら手段をえらばない狂った探偵シャーロックのオネエ声は、アルトーの著作に登場する女娼帝、
アナーキストの戴冠姿、ヘリオガバルスの姿をとったホムンクルスだ(たぶん)。




うーーーん、
やっぱり、ブログがこうも書けないのって、
twitterで「贋作マッチロス」だと書いていた方がいたけど、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

オレもそうだ。













<漆黒>を観てて、涙がこみあげてきて仕方が無かった。


「死のゆび」のダンスで、自身をモノクロームの限界点にまで削ぎ落とした町田ヴァンと恩田ゴーギャンが、表面を火であぶった匕首でからみあう様に息が続かなかった。ゴーギャンが、マッチ売りの少女をえがいたゴッホの絵を切り裂くと、愛の結晶を脳天までえぐられたゴッホが、天井が落ちてきそうな絶叫をふりしぼる。この場面は東京公演<漆黒>で一番強烈なシーンだった。

マッチ売りの少女が消えたロンドンを、ゴッホが半狂乱で走りまわる。涙がこみあげてきてやりきれなかった。



私の席からは数歩しかないところで、ヴァンの死人すがた(震えるほど美しかった)、クソ兄貴にすがりつくジオの背中が目にやきついて離れない。




東京公演の、客席の床と舞台とが同じ床の高さでつながった会場は栃木公演との決定的違い其の三で、
スタイル(仕様)なのではない。演者と客とが必死にたぐりよせる奇跡なのだ。



正直言わせてもらうと、東京の2公演どちらかあるいは2公演とも、栃木公演と比べたら出来はどうなのかなあ、「死のゆび」も歌わないみたいだし・・・などと意地の悪いことを、考えたりもした(大変失敬)。ところが2公演とも、何度となく客席から煽るのを忘れきって、ステージに呑み込まれてしまった。
東京公演ではヴァン=ゴーギャンの同志愛よりもヴァン=ジオの兄弟愛に中心が置かれているのかと、<白夜>と、<漆黒>を観終わった直後におもったのだが、
この舞台では、同志愛と、兄弟愛がうむ悲劇のどちらも、悲劇の地平線を超えて、何物にも穢し難い奇跡までたどりついてしまう。
演者たちが、力量以上の演技をみせたのを、舞台と同じ床の高さでつながった客席の床で、私もまた、力量以上の観客になることができた。
<白夜>14日を観た直後、麻宮ヴァンとコイズミ・ジオ様が燃焼しきっていて声もかけられず、「感動した」しか言えなかったのを思いだす。



栃木公演と、東京公演の<白夜>と<漆黒>全部に登場し、いちばんゆさぶられたセリフがある。
「なあ、この絵美しいだろ?彼女の笑顔が、ここにはあるんだ!」
来年の神奈川公演で、このセリフに出遭うことを楽しみにしている。




ああ・・・・・
こうして書いてると、常盤ヴァンとコイズミ・ジオ様も観たかったし、小林機械さんのアルトーも観たかった。











※使用画像は、【贋作マッチ売りの少女】東京公演のサイトから
http://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/stage/fakematchgirl/tokyo/


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# by lecorsaire | 2017-12-20 19:33 | 公演

「贋作マッチ売りの少女」 東京公演<白夜>(14日)


栃木での公演からほぼ一か月を経て、舞台「贋作マッチ売りの少女」は東京へやってきた。
栃木公演では巨大なステージが幻想都市ロンドンの箱庭をひろげていたのが一変、東京では階段を降りた地下室で・・・・・ヴァン・ゴッホの贋作が生んだ札束のブロックを小さなカバンのなかに無理やり押し込んで、向きを横にしても縦にしても入りきらない札束を冷や汗かいて詰め込むような、テンションの真空パック公演がおこなわれた。栃木公演と鍔ぜりあう、圧倒的な演出力。今回も、哀しみのどん底を描いてるのにまったく嫌味がない。


此処ではない何処か・・・
人類史の歪曲・・・
とある可能性のみが収束した世界
其処は幻想都市ロンドン。
史実上の偉人たちが時と場を超えて集った並行世界
画家ヴァン・ゴッホは贋作稼業を生業としていた。
ある日、オークション会場で美しい少女、アルルと出会う。
彼女は“マッチ売りの少女”と呼ばれる娼婦であり、歌姫。
ヴァンは、少女に絵のモデルを依頼するが金が無いことから断られてしまう。
丁度その頃、腹違いの弟であるジオからルームシェアの提案を受ける。
相手は画商であり画家であるポール・ゴーギャン。
強烈な個性を持つ2人は、互いに惹かれあっていくが・・・ だが。
物語はルームシェアの破綻、耳切り事件後の、精神病院サナトリウムからはじまる。
ゴッホの義弟ジオは、レイ医師と共に何事かを企て、義兄との面会に挑むが・・・
この作品は、情熱の画家“ヴァン・ゴッホ”の短い生涯を描いた密空間演劇である。


※舞台芸術創造機関SAI 【贋作マッチ売りの少女】東京公演サイトより
http://stageguide.kuragaki-sai.com/guide/stage/fakematchgirl/tokyo/




栃木では大合唱を披露するほど何十人?もいた登場人物を東京では七人にまで刈り込み、
栃木公演の錯綜をきわめる展開を派手な裏地にし、表地を無辺大な白衣で統一した、精神病院の患者と看護師たちが、おそらくは内部が迷宮構造、外観がゴシック装飾でできた病院建築を背後に背負った、病室劇を展開する。精神病院の隔離病棟での絶叫シーンから始まった時、内心(ええっ、ちょっとこの公演これで大丈夫なの?)と一抹の不安を抱いたが、そんな心配はまったく必要なかった。
栃木では華麗な横顔をみせていた歌唱も東京では鳴りを潜め、私が作詞した「死のゆび」も、そのピアノ音楽だけが幽冥うるわしくながれて、ピアノにあわせゴッホとゴーギャンと、アントナン・アルトーが、病室を、狂乱の荒地にそこだけ白夜が咲き誇るちいさな庭に変えて、三人でダンスをおどる場面をみることができた。一番好きなシーン。

開演30分前ぐらいから小屋のまえで立っていて、ややこたえる寒さを我慢していたのが一転、舞台がはじまるとたちまち物凄い熱気が密室に充満する。
おお?、演者たちが、白衣すがたで栃木公演の台本??を手にしている。
ギャラリー悠日(←栃木公演での会場)で見た場面をセリフから思いおこして、密室のテンションでやられた頭で昂揚していると、栃木で聞かなかったセリフが、手術刀の先端のように頬や喉をつっつく。
みているこっちも、一緒にさけびたくなるのをギラギラしながら堪えていたけど、いまでは叫んでしまわなかったのを、ちょっと後悔している(←オイッ!w)
病室に持ち込んだトートバックに、何故か入ってた扇子をコートとマフラーのまま、パタパタあおいでいた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京公演「白夜」だけの印象で『贋作マッチ売りの少女』を書き切るのは心もとない。
16日にみる東京公演「漆黒」での印象を合わせて、より完全な公演記を書き上げたいので、以下は何か所か、あえて宙づりにしてある。



阿鼻叫喚の奥底から迫ってくるのは、歴史上のロンドンで天下とスキャンダルを鷲掴みにした耽美派の文豪オスカー・ワイルドの舞台『サロメ』、そしてワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』。
ケン・ラッセルの映画、オスカー・ワイルドが登場し文豪の貸切で『サロメ』を娼館で演じる劇中劇を思い出すと、白衣の群れにただひとり、サングラスをかけて現れるゴッホの弟ジオにピンときた。
ジオ役のコイズミショウタさんは東京公演で参加してきた演者だ。
「ひとは素顔で語る時、本音からいちばん遠ざかる。彼に仮面をあたえよ。そうすれば彼は本音を語るだろう。」オスカー・ワイルドの名言がジオに授けた黒メガネは仮面だ。
(このつづき、ゴッホの弟ジオについては<漆黒>とあわせて読み解きたい)

ベッドにしばりつけられたポール・ゴーギャンは『サロメ』で井戸の地下牢に閉じこめられたヨハネの絶叫をあげ、さけびは救世主をとびこえゴッホを片耳もろとも揺さぶる。
アルトーは文筆と絵筆でゴッホの色彩をひきづりだす横顔を、片顔では、栃木公演で見た”マッチ売りの少女アルル”をえがき、もう片方の横顔からは悪鬼にゆがんだドリアン・グレイの肖像がみえる。病院扉のむこうに閉じこめられると、泣き叫ぶ声で扉がぐにゃーーっと歪む。

東京公演での新顔、小林夢二さん。精神病院の院長レイは栃木公演でのレイ院長が相当の不敵さであらわにした輪郭と骨格と神経に、筋肉と重量を与えた。東京公演の贋作マッチが音楽劇にならなかったのは精神病院の狂乱の声が始終とどろき、音楽の印象が薄まってしまうからだろう。ならば新しい空気をふきこむ役者は絶対、栃木公演の外部からつれてこなければいけなかった。

霧のロンドンの怪人ジャック・ファントム(演じるのは栃木でヴァン・ゴッホを演じた常盤美姫さん)は精神病院の看護師、あるいは大英帝国女王の顔をかたどって病院の屋根にかざった女神像が、辻斬り中毒症を呈した徘徊すがたか。ヴァン・ゴッホから大きく変貌した声を特に楽しくきかせてもらった。

ジャック・ファントムを栃木で演じた麻宮チヒロさんが東京ではヴァン・ゴッホを演じ、栃木でのクールな印象をさかさまに墜落させてボロボロにのたうち回る。(このつづき、ジオの兄ヴァン・ゴッホについてはこちらも<漆黒>とあわせて読み解きたい)
(栃木公演ではゴッホとゴーギャンとの友情が愛と祈りにまで高まった姿を見とどけたが、東京公演<白夜>ではゴッホとジオとの兄弟が、火と空気になって、たがいに焼きつくしあいながら互いを求め合う姿を見た。<漆黒>では、どうなるのだ?)


サロメの斬首刀が、ヨハネの首をとりあうように、白衣たちの手から手へとわたり、
舞台はヘロデ王の宮殿のように血まみれになる。




「贋作マッチ売りの少女」 東京公演<漆黒>に
つづく







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# by lecorsaire | 2017-12-15 18:41

『緋哭』ーひのさけび

『緋哭』ーひのさけび
舞踏:吉本大輔
墨刻:原賢翏
音楽:関口大
12月9(土)、10日(日) Open 19:00 Start 19:30


東生田会館(イベントホールとかではない、ごく普通の多目的集会場)での吉本大輔舞踏公演 『百合懐胎す』(2011年12月1日〜7日)から6年が経ち、
12月10日午后6時前、神奈川の向ヶ丘遊園駅南口に、6年ぶりに降り立った。



東生田会館の内部は、壁も床も黒布でおおいつくされていた。
天井をおおう紗幕は暖房の熱風をあびてゆらめく、喪服のヴェールが吐息を吸うように。
黒い床のうえに、書道でつかう長い文鎮を、15個置いた、書道半紙の大判がでかでかと敷きつめられ、緋色のロープが、天蓋ベッドの四本の柱みたいに天井から吊り下がっている。


大輔さんの舞踏だけではなく、
未知の領域が二つ、悪夢の海から顔を出して睨みつけてきた。

原賢翏の墨刻が、黒い蛇のうねりになり、蛇の舌の緋色となり、ステージの白い紙に刻まれていく。
墨の文字は、ステージまで這って行ってなめたくなるほど、凄まじい。
ドロドロに揺れた空気のなかで阿片窟が浮き沈みし、
椅子からころげおちそうになる。


緋色の寝台から・・・・・・
関口大の10ホールズハープが響き渡る。
気怠いねいろを虹色に染めて、輝きの尾をたなびかせて。
天蓋つきの寝台が、あまりにも美しい。

美しさが、東生田会館の座敷霊が、吉本大輔の舞踏のそこなしの白さで寝台にまといつき
天蓋からは、吉本大輔が持ち帰った冬空のまきちらした風のおちばが、関口大の頭上へふりそそぐ。
禁色の雨が、・・・・・・・・・・・・・・・・ダナエーの心を奪う。


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ダナエー・・・・・ギリシア神話に登場するアルゴス王の娘。
アルゴスの王はダナエーをブロンズの部屋に閉じ込め、男が近づかないようにしたのだが、有る時ダナエーの身体に、まばゆい黄金の雨がふりそそぐ。
黄金の雨に変身したゼウスとの交合によって、英雄ペルセウスがうまれた。

黄金の滴が、黒く赤く、ステージにしたたる。兵士達を美しい屍にする血、司祭たちがおこなう儀式の最高潮を演出する血が。


吉本大輔が、みずからの肉体の美しさにいらだったのか血のにおいを嗅ぎ取ったのか、
ペルセウス彫刻のような美を破壊する狂態を炸裂させるーーーーーーー凧糸にした、緋色の布紐をひっつかみ、永遠のような長さを躍動させ、
ステージ四方の客席へ突進し、からみつき、客の足やら、上半身やら、私の首に、ひもが巻きつけられ、
客の脳内にもぐりこんで、こねくりまわしてくる舞踏が、ひとしきり中身をくいあらすと、外へ這い出て、
ペルセウスに倒されたメドゥーサの打ち首になると、
ステージを這い、墨文字にほおずりし、中心の寝台で暴虐鎮座すると
ステージ四方から伸びる緋色の布紐たちを、遊惰でありながら緊迫させる。
ダナエーの、臍の緒のむれを。
メドゥーサの頭髪の蛇たちを。




音楽が、筆のいきおいが舞い止まぬ。







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# by lecorsaire | 2017-12-12 19:10 | 公演

「騎上の陛下におかせられては周知のごとく、人生はもっとも大胆で華麗な賭けをうたう剣とマントの物語でございます」


by lecorsaire
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